「プライベートコミュニケーションをパブリックチャンネルに持っていくと情報量が増えて回らない」という意見を見て思ったこと #dm
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それは「見てもいい」と「見てほしい」の区別ができてないシステムが原因
- 区別ができてないのがソフトウェアの仕様のせいなのか、仕事の回し方のせいなのかは不問
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情報をパブリックにすると「見てもいい」情報の量は増える
- 「見てほしい」情報が適切にメンションされていれば、それだけを見ればいい
- 「見てもいい」と「見てほしい」を区別できていないと、「見てもいい」情報の中に「見てほしい」情報が紛れ込む
- →結局全部見る羽目になる
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「メンションする責任」文化
- 見てほしい情報を送り手が受け手にメンションしなかった場合、
- 受け手が読まなかったことで発生した問題の責任は送り手にある
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この文化が成立していれば
- 送り手は見てほしいものをメンションする
- 受け手はメンションされたものを優先的に見る
- →その他の「見てもいい」情報がいくら増えても負担にはならない
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読む側の負担と書く側の負担
- 情報がパブリックに書かれて、パーマリンクで指し示されているなら、書く側の負担が減る
- 「これを見てね」と指し示すだけでいいから
- 情報がDMなどの指し示せないところにしかないと、コピペなどの手間が発生する
- メール型コミュニケーションのデメリット
- 情報がパブリックに書かれて、パーマリンクで指し示されているなら、書く側の負担が減る