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from 「勝手に学ぶ人」と「期待されて学ぶ人」の差が埋められない Polis:「勝手に学ぶ人」と「期待されて学ぶ人」 「勝手に学ぶ人」は「勝手に仕事を作る人」 「勝手に学ぶ人」は皆で行く気がない 今は世界の変化が激しくて長期的なプランの妥当性が下がっているので「遠くに行きたければみんなで行け」という判断指針を使うのは適切でない 世界の変化が激しいときは個々人が素早く動いて情報収集し、余裕があればそれを互いに共有するようなスタイルのコラボレーションが有益 「速く行きたければ一人で進め、遠くまで行きたければ皆で進め」は本来「年寄りは若者のように速く走れないが、知識があるので遠くまで行くことの助けになる」という意味。知識がなくて足の遅い若者を連れて行っても「遠くまで行く」ことには有益ではない 速度が要求される時には他の人のことを気にせずにまず一人で走るべきだ 「差が埋められない」と言う表現は暗黙に「差を埋める」を良いことだと仮定しているわけだが、この仮定は正しくない 自分の能力は変わらないと考えていると、その自己イメージを維持するために 「到達目標」 を設定する。 一方、 しなやかマインドセットの持ち主は 「学習目標」 を設定する。 学ぶこと自体が目標になると、 くだらない質問をしたり、答えを間違えたりしたら自分がバカに見えるのではないかなどと悩んだりせず、リスクをとるようになる。 ラーニング・アニマルが目先の失敗にこだわらないのは、長い目でみればそのほうが多くを学び、 さらなる高みに上れることを知っているからだ。 「勝手に学ぶ人」のように隣接範囲を自主判断でやっていかないと生き延びられない 長い目で見れば、学習モデルを効率化させうるだろうという認識はけっこう危うい 「期待されて学ぶ人」スタイルだと途中で戦力外通告されて消えるだろう 勝手に学ぶ人は「知識欲」とかが報酬体系で、期待で伸びる人は期待が報酬になってる 「勝手に学ぶ」人は「期待されても伸びるとは限らない」 「勝手に学ぶ人」が学ぶ障壁がどんどん消えてブースターが増えているのが喜ばしい.. ネットには教材が溢れているしchat先生は家庭教師のごとく親切に教えてくれるし「勝手に学ぶ人」オーラがあればちょっと質問すると答えくれる(人間)はたくさんいる 「期待されて学ぶ人」を超えるペースで「勝手に学ぶ人」が学んでしまうので、格差が広がってしまう、格差は良くない 期待されて学ぶ人から、勝手に学ぶ人に変わるのは「問題意識」がヒントになる 勝手に学ぶ人だけが残るようにすればいい 仕事で「学ぶ」人って言い回しは嫌い これは「労働意欲」とか「やる気」の話 「勝手に学ぶ」と「期待されて学ぶ」という言葉の使い方に違和感がある 「勝手に学ぶ」と「期待されて学ぶ」ではなく「自発的」と「他発的」が良い 「勝手に学ぶ人」のほうが「期待されて学ぶ人」より良い 「期待されても学ばない人」が大多数 勝手に学ぶ人だけだと秩序が保てない 報酬等のインセンティブも無く、勝手に学ぶ事を強要する上司、組織がワーストケース 報酬等のインセンティブが無くても勝手に学ぶ人がいる、その人との格差の話だ 縮小中の企業も学びがある 勝手に学んだ人がチームに還元していけば全員の利益になって良い 「期待されて学ぶ人」に、『あなたの次の仕事は、社内で誰も手を付けてない仕事を探して解決すること』を期待するのは「強制された主体性」なので正しくない 学習を続ける人々は大きな変化に立ち向かい、それを楽しむ力を持っている 自分が勝手に学ばないタイプであることにコンプレックスを抱いている人が多い 「勝手に学ぶ」タイプに敵意を向けてる人がいる 「みんなで」がもう合わなくなりつつある 「格差」ではなく「組み合わせ」 「勝手に学ぶ」タイプは、実際は過去の仕事の範囲/学びの少なくなった領域はモチベーション低下でやらなくなる 両方のタイプがいるチームがいい 勝手に学ぶ人は、本人の興味のままに学んでいくので、時期や分野をコントロールするのは難しい チームのいま現在の課題を解決するための学びは「期待されて学ぶ人」に任せたい 問題は、チーム内での情報量の差が大きくなること 知見をチームに還元、共有する文化を整備する必要がある