発想法 p.52-53

…分類問題を曲りなりにも実践的に解決してみた私は、その結果意外な困難に乗りあげてしまった。 すなわち、いくら分類をきれいにやってみても、その結果、資料が自動的にうまくまとまりはしなかったことである。 本来分類というものは、おなじ分類項目に入った資料に、なんらかの共通の性質があるという「同質性」に着眼してグループ分けしたものである。(p.52)

  • ある共通の性質を持つものを一箇所に集めるのが分類
  • 分類をすると要約分析がやりやすくなる
  • しかし…

まとめる」ことには、たんに同質的なものの要約と分析という手続きだけでは不十分な場合がある。 それはなんであろうか。 すなわち、ぜんぜん性質の違う、比べることのできない資料同士を集め、それらの組み合わせからどういう意味が見いだせるかという意味での「まとめる」過程である。 あるいは、異質のデータの組み合わせからなにが発見されるかということである。 この意味での「まとめ」に対しては、そもそも分類という手続きだけでは、はなはだ不十分だということになる。(p.53)

  • つまり「同質性」に着眼してグループ分けをやったところで「まとまる」わけではない
  • 異質なデータの組み合わせから新しい関連性を発見することが必要なケースがある
  • 異質なデータをまとめる=同じグループに入ってないものの組み合わせ

異質のデータを統合する方法

データの統合法 ここにおいてあらたに必要な技術は、「異質のデータを統合する方法」なのであった。(p.53)

そのへんまではつまずくことによってわかったが、それでは具体的にどうすればよいか。野外の資料をひねくっているうちに私は、ある種のやりかたがあることに気がついた。なぜかはわからないが、こうやれば今までより具合よくまとまるということが体験的にわかってきた。 そんなやりかたは、最初はきわめてあいまい模糊としていたのである。しかしそれをだんだん洗練させてゆくうちに、「これは一つの体系的な方法にすることができる」と気づいてきた。このような必要から、以下の発想法は生まれてきたのである。ここでおもしろい体験をした。 この発想法は、実行のほうが先に生まれたのである。そのように運べば、なぜうまくゆくのだろうか、という理屈は、あとから反省したものにすぎない。(p.54)

  • つまり、いろいろな方法を試行錯誤しているうちに、自分にとってやりやすい方法が見つかった
  • その「方法」は最初は漠然としていたがだんだんと体系として整理された
  • 「どうやるとよいのか」「それでなぜそれでうまくいくのか」は後付けである

野外科学における雑然たる異質のデータをいかにして「まとめ」たらよいか。その最後の隘路は、このようにデータの統合化の方法いかんにある。 そしてそれが発想法につながっている。(p.55)

  • 異質のデータをまとめる
  • データの統合化の方法が大事
  • それが「発想法」につながる

…情報は、たんに枚挙するだけではなくて、組みたてられなければならない。なんらかの構造あるものに組み立てなければいけない。 その組み立てにあたって、いわば統合を見いだしてゆくのに使うのが、のちにのべるKJ法である。これは構造づくりである。(p.61)

  • 情報を構造のあるものに組み立てる
  • その組み立てにあたって統合を見出すのに使うのがKJ法構造づくり

この「情報は、たんに枚挙するだけではなくて、組みたてられなければならない」の別表現 on エンジニアの知的生産術

情報収集だけをたくさんやっても、箱が平たく並んでいくだけで積み上がりません(p.3) image

上に積む箱は、収集したものに限りません。集めた箱を眺め、考えるこ とによって、自分で新しく作り出すことも多いです。この、新しい箱を作 り出すこと、つまり抽象的な知識を作り出すことが「モデル化」です。(p.4) image

old title: KJ法が生まれる手前の失敗