2014-10-20にGTDとKJ法の関係についての言語化が行われた。
- このプロセスは断片的にFacebookに書き出していくことによって行われた
- なので放置しておくと散逸しそうだからこのページでそのログの保全をしておく
- 加えて2018年の解釈で読みやすく整理したものを掲載する
2018年に整理したもの
- インタビュー記事 締め切りがないと、到達しないすごく遠いゴールに向かって走ってしまう
- インタビュワーとしてこの話を聞いてから、アウトプットの締め切りを決めまくって、アウトプットの量は確かに増えた
- しかし精神的に疲れる=ストレスを感じる
- そこで「ストレスフリー」なGTDを復習した
- GTDは「やるべきことを全部書き出せ」とは言っていない。
- これはすごく重要なことだと思うが、僕は今まで気づいてなかった。
- 正確には「気になることをすべて書き出せ」なの。
- つまり心に浮かんだことをすべて書き出せと言っている
- 下記のようなことで事前にフィルタリングしない
- 実行可能かどうか
- 得たいゴールなのか
- 現状の問題なのか
- やりたいことかやらされることか
- 下記のようなことで事前にフィルタリングしない
- これはKJ法の「問題と関係ありそうなことを書き出す」と似ている。
- なぜ「関係ありそうなこと」なのか?
- 人間は最初から問題を把握していないと考えている
- 「問題を書き出せ」「問題と関係あることだけを書け」は実行不可能
- だから関係ありそうなことを全部書き出して、それを構造化することで問題を把握しようと考えるわけ
- GTDのドメインに引き戻して考える
- 人間は最初から何をやるべきかを把握していない
- だからまずは気になることを全部書き出してみよう、となる
- 書きだした後
- KJ法は「全部広げて一覧できるようにしよう」
- GTDは「上から順番に処理していこう、戻ってはいけない」
- この違いはGTDが「やるべきことが多すぎて収拾がつかない!」という状態の顧客を想定しているからだろう。
- KJ法的アプローチはつながりが発見されるまでは進んでいる実感がないので心が折れやすい。
- GTD的アプローチはとりあえず一方通行で進む。
- 実際にはinboxの中身にも互いに関連が強くて「くっつけた方がいいんじゃない?」ってものがある。
- 今まさにそれをやっている
- 「GTDとKJ法の類似点についてブログに書く」は僕はinboxの3行目に書いていた
- 「アウトプットのマイルストーンは苦しい」は2ページ目の半ばに書いていた
- 前者は明らかにタスク
- 後者は明らかにタスクではない
- 「それをブログに書く」とかならタスクになる。
- でも単体でブログのネタになるほどではないなと思っていた。
- この2つと、その他いくつかのものを「似ているものだ」と思って集めた
- その結果それらはくっついて「GTDとKJ法についての考えを言語化する」という集団になった。
- で、この集団の目的はなんなのかと考え直した
- 心の中にあいまいな形である物を人が読める文章の形で言語化することによって、自分の考えを整理すること
- その目的を達成するための次の一歩は何か、と考えた
- 最初の一歩はブログに書くことじゃなくていいよね。
- 通勤電車の中でiPhone使ってFacebookに書けばいいよね、となった。
- それがまさに今行われていること
- 今まさにそれをやっている
- もう一点GTDとKJ法が似ているのは、ボトムアップが重要視されているところにある。
- よく「人生の目的を明確化しましょう」みたいなことを言う
- だけども、GTDはそういうトップダウンのやり方には否定的。
- 両方試した結果トップダウンはあまりうまくいかないと考えている。
- それはなぜか
- 逆のパターン
- この気づきがのちにエンジニアの知的生産術の(2.2.4.2) 価値観はボトムアップに言語化するになった
元投稿の保存: Facebook 2014-10-20
- 小崎さんの話を聞いてからアウトプットのマイルストーンを決めまくって、アウトプットの量は確かに増えたけど、これは疲れる…
- というわけで「ストレスフリー」なGTDを復習しているわけだが…
- きちんと読み直して見ると、GTDは「やるべきことを全部書き出せ」とは言っていない。これはすごく重要なことだと思うが、僕は今まで気づいてなかった。
- 正確には「気になることをすべて書き出せ」なの。つまり実行可能かどうか、得たいゴールなのか現状の問題なのか、やりたいことかやらされることか、そういうことで一切フィルタリングすることなく、心に浮かんだことをすべて書き出せと言っているわけ。
- これはKJ法の「問題と関係ありそうなことを書き出す」似ている。なぜか?KJ法では、人間は最初から問題を把握していない、なので「問題を書き出せ」は実行不可能、と考えているから。
- だから関係ありそうなことを全部書き出して、それを構造化することで問題を把握しようと考えるわけ
- GTDのドメインに引き戻して考えると、人間は最初から何をやるべきかを把握していないから、まずは気になることを全部書き出してみよう、となるわけ
- 書きだした後に関してはKJ法が「全部広げて一覧できるようにしよう」というのに対してGTDは「上から順番に処理していこう、戻ってはいけない」となる。これはGTDが「やるべきことが多すぎて収集つかない!」という状態の顧客を想定しているからだろう。KJ法的アプローチは進んでいる実感がないので心が折れやすい。GTD的アプローチはとりあえず一方通行で物事が進む。
- 実際にはinboxの中身にも互いに関連が強くて「くっつけた方がいいんじゃない?」ってものがある。具体的にはまさに今やってることで「GTDとKJ法の類似点についてブログに書く」ってのは僕はinboxの3行目に書いてて、「アウトプットのマイルストーンは苦しい」は2ページ目の半ばに書いていた。前者は明らかにタスクで、後者は「それをブログに書く」とかならタスクになる。でも後者は単体でブログのネタになるほどではないなと思っていた。この2つと、その他もろもろが似ているものだと思って集めた結果、これらはくっついて「考えの言語化」という集団になった。
- で、この集団の目的はなんなのかと考え直したら、心の中にあいまいな形である物を人が読める文章の形で言語化することで考えを整理することだ。その目的を達成するための次の一歩は何か、と考えると、最初の一歩はブログに書くことじゃなくていいよね。通勤電車の中でiPhone使ってFacebookに書けばいいよね、となった。
- もう一点GTDとKJ法が似ているのは、ボトムアップが重要視されているところにある。よく「人生の目的を明確化しましょう」みたいなことを言うわけだけども、GTDはそういうトップダウンのやり方には否定的。両方試した結果トップダウンはあまりうまくいかないと考えている。
- それはなぜかというと、ボトムの「いまやらないといけないこと」でいっぱいいっぱいの状態に、そこから乖離した「人生の目的」をトップダウンで導入すると、負担が増えてしまうから。負担が増えるとどうするかというと、直近で必要ではない「人生の目的」に目をつぶって負荷を減らそうとする。その結果「目標立てたけど、役に立たなかった」という失敗体験だけが積み上げられる。
- 逆にボトムをたくさん書きだしてから、そこからKJ法のグループ編成的に関連のあるものがくっついて抽象化が進んだ場合、抽象化が進むにつれて人間の認知的負荷は下がるので、どんどん楽になる。楽になって空いたスペースでまた新しいことが考えられるようになって、これを繰り返すことで徐々に人生の目的が結晶化する。