スムーズに読めて100%理解した気持ちになれる本は、読者が既存の枠組みを作り直すことなく飲み込むことができたわけなので、あごを動かしてしっかり噛み砕くタイプの学びをするチャンスがないということでもある。

  • 「100%わからなければならない」という囚われがある
  • 中学校の勉強は100点満点で採点されたが、社会人の学びはそうではない。それを避けて、わかりやすいもの、喉ごしの良いものを選好していくとよくない。

本を読むことによるインプットが学びなのではなく、その情報収集で得られた情報を自分の今までの経験と照らし合わせ、組み合わせて積み上げていくことに価値がある。

  • その組み合わせ方には「あ、今まで経験してたこれって、そういう名前がついてるのか」とか、「自分の経験と矛盾するぞ?」からの「矛盾してなかった」とか、まだ埋まってないギャップがあるとかがある
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    • 「自分の経験したこと」が書籍に書かれたパターンがマッチして、経験の中のパターンに名前がつく
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    • 自分の経験したことと本に書かれている情報の間に一見対立があるケース
      • 自分の経験を違う視点から見ることによって、新しい切り口が見つかる
      • ひとかたまりで扱っていた経験を、より細かいかたまりに噛み砕いて理解するきっかけになる
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    • 自分の経験と、新しい情報の間にギャップが見つかる
      • 「よくわからない気持ち」など
    • 足りていないものの存在に気づくことで、その不足を埋めるものの発見が促される
    • カラーバス効果

続き

そもそも、エンジニアの知的生産術のp.133に「書籍を100%理解しようとするのは適切な完了条件の設定ではない」って書いていた。

松下 幸之助自修自得

「わかりやすくいって、たとえば経営学というものをとってみよう。経営学は人から教わったり、本で学んだりすることができる。しかし、万巻の経営学の本を読んだからといって、それで経営というか、仕事が完全にできるというものではない。それはいろいろな面で参考になるかもしれない。しかし生きた経営なり仕事というものは教えるに教えられない、習うに習えない、ただみずから創意工夫をこらしてはじめて会得できるものである。 その自得するという心がまえなしに、教わった通り、本で読んだ通りにやったとしても、一応のことはできるかもしれないが、本当のプロにはなれないと思う。自得していこうという前提にたって、はじめてもろもろの知識も生かされ、人の教えも役に立つわけである」 (『その心意気やよし』PHP研究所)