言語演劇論
- 英語: language-theatre
- 種類: 造語(言語哲学上の立場名)
一言要約
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」になぞらえた、宇田川氏の言語観。「語りえぬものをむしろ虚構として本気で語り尽くすための道具が欲しかった」という発想。
詳細
宇田川氏の説明:
- 17歳での 輪郭法 ひらめきは、ウィトゲンシュタインなど言語哲学を意識していた時期に起きた。
- 「言語の限界を超えたところに世界の実相がある」と考えるのではなく、「言語に 無数の穴をあけて 世界の実相らしきものを覗けるようにする」立場。
- 言語的思考で捉えきれない世界の 全体性・連続性・流動性 を、言語を代替する「輪郭」で捉えて共有できるようにする。
- 影響を受けた哲学者: ホワイトヘッド、デヴィッド・ボーム。
語りえぬものをむしろ虚構として本気で語り尽くすための道具が欲しかったのだろう。この言語観を言語ゲームならぬ「言語演劇」(language-theatre)と呼んできた。
応用:
- デライト上で本人を見て「理解しがたさ」を感じたなら、それはデライト以前には宗教の神秘体験などとして決して人目に触れることのなかった超言語的な精神活動を、デライトが初めて表現可能なものにしたということなのかもしれない、と本人は語る。
先行概念
「虚構として本気で語る」「言語を演劇的に扱う」発想は、20世紀の哲学・社会学に複数の先行例がある。
特に強い対応: ジェンドリンの “carrying forward”
ユージン・ジェンドリン(Gendlin, ‘A Process Model’) は、言語を 「暗黙のものを汲み出すが、汲み尽くしはしない媒体」 として位置づける。
- 言語は世界の客観記述ではなく、
...(暗黙)を carry forward(運び出す・進展させる)する道具。 - 重要なのは「言葉が implicit を 正確に表現する こと」ではなく「言葉が implicit を 動かし続けられる こと」。
- これは「語りえぬものを虚構として本気で語り尽くす」という宇田川氏のスローガンとほぼ同じ構造。「虚構として」=言葉は真理の写しではない、「本気で語り尽くす」=それでも汲み出し続ける。
宇田川氏が影響を明言する ホワイトヘッド はジェンドリンの理論的祖でもあるため、間接的系譜は確実に存在する。
その他の哲学的先行
- Hans Vaihinger『あたかも(Als Ob)の哲学』(1911): フィクションを「あたかも真であるかのように」扱うことで、思考は世界に効力を持つという理論。「語りえぬものを虚構として本気で語り尽くす」というスローガンとほぼ同じ。
- Erving Goffman『日常生活における自己呈示』(1959): 社会的相互作用を演劇のアナロジーで分析する dramaturgical sociology。
- Speech Act Theory(Austin『How to Do Things with Words』1962, Searle 1969): 言葉が世界に対して行為する/演じる側面の理論化。
- Roland Barthes / Jacques Derrida: 言語による意味の生成と差延、虚構と現実の境界の哲学。
- Nelson Goodman『世界制作の方法』(1978): 言語を含む記号体系が 世界を作る という構築主義的言語観。
- 後期 Wittgenstein の言語ゲーム(宇田川氏自身が対比対象として明示)。
宇田川氏の独自性
- 「演劇」というメタファーで実装ツール(デライト)と結びつけた点。
- 個別の先行(Vaihinger / Goffman / Gendlin / Speech Act 理論)への言及は本人にない。サーベイ不足の可能性。
- ただし、影響元として Whitehead・Bohm を挙げており、Whitehead 経由でジェンドリンと並行発想に至っている可能性は十分にある。
関連用語
ソース
- villagepump-デライト.2hop.md (Page: デライト)