高価な教育手法はそれ自体で悪ではない。 「別の方法を使えば安価に学べる」からと言って、高価な学習手法の存在意義が否定されるものではない。 「みんな自分で勉強すればいいから、塾や家庭教師や大学は悪」とはならない。 「NHKラジオ英会話を聞けば無料だから、英会話学校は悪」とはならない。 「無料のWeb記事があるから、有料の技術書を買うのは悪」とはならない。

ある人Xは「自分は安価な方で勉強するから、高価な方はいらない」と判断するかもしれないが、誰も市場とイコールではない 別の人Yが安価な方法を知った上で高価な方法を選ぶのは、Yの自由であり、無関係な第三者Xが決めることではない。 Yが安価な方法を知らないで高価な方法を選び、あなたがそれをよくないと思うなら、あなたがYに安価な方法を教えればいい。 高価な方法の売り手が、買い手に安価な方法を教えないのは、当たり前に起こる現象であり、それにけしからんと言っても無益。

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