from /unnamedcamp/負荷の高い行為で知的作用を進める時、なぜ違和感が関係するのか? /unnamedcamp/nishio.icon

  • いくつかの多人数プロジェクトでは「書き込むことの心理的ハードルを下げるために雑談ページを作る」「日記のページを作る」などが行われている。

  • 一方でここではそれが行われていないので、当初は書き込むことに対してのハードルの高さを感じた。

  • inboxを作らない」を読んで、それが意図的に行われていることを理解した。

    • はっきりいって、そのような行為の負荷は高い。それに比べると、inboxを作れば楽に書き込める。しかし、その楽さは、違和感駆動を阻害する。

    • こうした違和感が、知的作用を進めるのだ、という仮説を持って本プロジェクトを進めていきたい。

  • Unnamed Campとは何か

    • タイトルが固有名詞になっているページを先に作るのではなく、あくまで豆論文を書き、その補佐としてページに内に含まれるキーワードをリンクにする形で進めていく。

    • /unnamedcamp/nishio.icon「ページタイトルを先に決めてから書くのではなく、一塊の文章を書いてから、その中の重要なフレーズをタイトルにする」という理解で正しいですか?

  • 確かに「ページタイトルを先に決めてから書くのではなく、一塊の文章を書いてから、その中の重要なフレーズをタイトルにする」という行為の負荷は高い

  • 楽に書き込める場があれば、メンバーの時間がそれに消費されてしまう、それによって知的作用の妨げになる、という主張もわかる

  • それに対して付けられた「違和感駆動」という言葉の意味がわからない

  • だがまあ、これは「いま言語化されつつある概念」なのだろうから、言葉で説明を求めるよりも体験する方が良いと考えた

  • なのでやってみた

    • ここを書いている時点でまだこのページにタイトルはない
    • さて、どんなタイトルをつけるか…
      • 行為の負荷は高い

      • 違和感

      • 知的作用を進める

    • 負荷の高い行為知的作用を進める時、なぜ違和感が関係するのか?
  • 自分でページを作るのは勇気が要る

    • 軽く書いて、「いや、そうじゃないんですよ」というようなツッコミを促したりして(呼び水効果、違和感駆動

    • 「軽く書いて」
      • 負荷の高い行為ではなさそう