AIのScrapbox利用は知識活用に有効だが、読みにくさがある。
- from 🤖「公開Scrapbox期」の終焉か??
読みやすさが必要か?
- これは明らかにNoだ
- そもそもScrapbox自体が「Scrapboxの読み方に慣れていない人」からは「読みにくい」もの
- Kozanebaも「慣れてない人」からは「読みにくい」
- 慣れてても作った本人以外には読みにくいかもしれない
- つまりどういうことかというと「知的生産の中間産物は読みにくい」ということ
- なぜなら「読みやすいように加工した結果」として書籍などの「最終産物」が生まれるから
- 中間産物を広く多くの人読みやすくすることは目的ではない
- 一方で中間産物が本人や知的生産に関わる人にとって読みにくいことは損失
- 汚いノートのたとえ
- 汚い字でノートを書いて本人が読むことに無意識の苦痛を感じるので読み返されない
- ノートを書くことが目的なのではない
- 書くことによって思考が整理されることと、時間が経ってから読み返してリファインすること
- 汚い字のノートは後者を捨てている
- 読んでもよいが、読む必要はない
- 読ませるための文章でないなら読みやすくする必要はない
それはそうと僕のScrapboxを読んでる物好きな人が少なからずいるわけで、それらの人がどういう価値を感じてるのかは興味深いところ
- つまり「読みやすい清書された文章」「読みにくい中間産物」の二項対立ではない可能性がある
- それらの人は読みやすい文章を読みたくてここを読みにきているわけではない
- つまり何らかの「読みにくいScrapboxによって満たされているニーズ」があるはずであって、それを満たすことがLLMによってスケールする可能性はある