言語化能力コンテンツを産み、コンテンツがニーズを満たしている

この投稿自体がすごい言語化能力 それ自体が実例

  • 「言語化能力がコンテンツを産み、コンテンツがニーズを満たしている」の事例

https://twitter.com/kensuu/status/1691357993668153345

Q: けんすうってひと何がすごいの?金産むビジネス作ったことなくても、会社売ったらすごいってなるの? A: これ「けんすうさんは結果で評価されている人であるはず」という認識で分析しようとすると、訳分からなくなるんです。

そもそも、結果がすごいから注目を浴びている、みたいな性質ではないんですね。どちらかというと

  • 何かの行動をしたときに
  • その行動の結果が評価対象なのではなくて
  • 「その行動をした理由などを言語で説明する」ということがコンテンツになっており、コンテンツ自体がニーズを満たしている

という感じなんです。

言語化能力がコンテンツを産み、コンテンツがニーズを満たしている

人物に評価が集まっているわけでも、注目されているわけでもなくて、どちらかというと「コンテンツが読まれており、なぜコンテンツが読まれるかというと、行動をした理由が、ちょっと他の人とは違う形で解説しているから」とかですね。

昔から評論家とかがやっている解説を、自分で行動をして、自分で解説をしている、というところが、他にあまりないので、ニッチなニーズを満たしています。評論家の場合、解説はあくまで結果論であり、その後の行動に影響を及ぼさないものですが、自分で行動し、自分で解説をして、また行動に移すとなると、その解説が次の行動に影響を及ぼすので、そこに興味が出てくる、という構造なんだと思います。

こうすると、結果が出ても出なくてもあまり価値は変わりません。「これをこう考えて、こうやってみたけど、失敗しました」みたいなのもコンテンツになるからです。

まとめると、

「結果が出ているから、すごい人だと認知されてるんだろう、と思って調べても、全然結果がでていないからよくわからない」

となるのは当然で

  • 結果で評価されていない
  • すごい人だとは認知されていない

んです。

  • 行動を解説しているコンテンツに興味ある人が見ている

という感じで、みんなが閲覧しているのは、人じゃなくて、コンテンツなんです。

ここを見誤ると、解釈が難しくなるので、この前提にたってみるとわかりやすいかなーと思いました!