「成果が出ているのに立ち消えるプロジェクト」について今まで「『熱意』が必要」「熱意は希少なリソース」と考えていたが、その「熱意」とは何かが曖昧だった。 今回プロジェクトが立ち消える原理を「熱意」という曖昧な概念を使わずに説明することができた。
- 何か課題Yを見る
- 他人Zが抱えてるように見えることもあるし、そうでないこともある
- 「それは方法Xで解決できるはずだ」と思う
- 解決策の思いつき=仮説
- その仮説を検証したくなる(やりたいの発生)
- Xを作ってみる
- Yが解決されない場合
- 解決することではなく仮説の検証が目的だったので「この方法ではうまくいかないことがわかった」で満足する
- 必ずしも別の解決策を考えない
- Yが解決された場合
- 自分の作った解決策で問題が解決された!万歳!
- Zがわかっている場合
- そのYの解決によってZが幸せになるかどうかにはあまり興味がない
- Zがわかってない場合
- そのYの解決によって幸せになる人がいるかどうかにあまり興味がない
- Yが解決されない場合
関連
- 問題を解決したい人と仮説を検証したい人という整理をしたこともあった
- 作りたいのではなく中身を知りたいの「知りたさが欲求の源泉」という視点に納得、これもそのバリエーション
- この説明の流れは明らかに思考の結節点2021未踏ジュニアの影響を受けているが、思いつきのきっかけはそれ自体ではなかった
- 一連の考察で部品が浮かんでて、それがうまくつながった感じ
- 手段Xで問題Yを解決して顧客Zを幸せにするとかが部品
- 何がきっかけだったのか改めて振り返ってみると午前にやった会議の刺激だと思う
- それは技術力のある人を課題を持っている組織にマッチングする話であった
- その課題が仮に明確であって、かつ解決策が思いつかなくて困ってる状態であったとしても、僕個人は「解決策の案を出す」まではやってもいいが、実際に解決をやる気が起きない、それは一体なぜなのか
- それはおそらくこのタイプの始まり方をしたプロジェクトがしばしば立ち消えるという経験からネガティブな学習をしてしまっているからだろう: 学習性無力感
- それを避けるためにはZが明確であるといい
- 一つの方法は「Zが自分自身」というもの: まず自分のニーズを満たすものを作れ
- もう一つの方法は、プロジェクトの早い段階でZの存在を確認し、解決によってZご幸せになっていることを観察できる状態に持ち込むこと
- 顧客不在を避けるわけだ
- この場合の顧客はビジネスにおけるそれと違って「支払うかどうか」ではなく「幸福になるかどうか」
- 作り手はZが幸福になることによって「やってよかった」という達成感を得る