紙きれを束ねてから、表札の下の中味の紙きれをたびたびめくって みなければその後の作業ができないという表札は、表札ではない。表札さえみれば中味をみなく ても、だいたいどんなものが収容されているかが感じとれるような表札でなければこまる。(続・発想法 p.47)

はじまりのKJ法において表札をしっかり作らないといけない理由はこれ。逆に探検ネットなどで「表札作りを厳密にやらなくて良い」と言っているのは束ねないから。