from 独自の用語を造語する 経験によって獲得したものを説明することは困難 経験によって獲得したものを説明することは困難
- 共有できない経験に基づく造語は定義や意味の説明を求められても説明できないのでは?
- 「経験したことに名前をつけて概念が作られる」ケースで、その概念は経験によって定義されている
- この経験が簡単にシェアできるものではない場合、概念の定義を伝えることが無理なのでは
- 簡単にシェアできる例
- リンゴとトマトを見せて「どっちも赤」と言う
- 簡単にシェアできない例
- 子供を3人育ててそれぞれの違いから見出された概念
- たぶん子育ての経験がない人に伝えることが困難、知らんけど
- 子供を3人育ててそれぞれの違いから見出された概念
- 厄介なことに「経験した人」は今から「経験してない人」の気持ちになることが難しい
- しばしば経験によって獲得したものを「当たり前」と認識している
- そういうこともあるのかー、くらいは理解できるかな
- それは理解というのか、という話はあるが説明できないということはなさそう
- たとえ なども活用できそう
- 関連 /nishio/体験的に自明
- なるほど、直近だとインスタコードの良さ、みたいなのを説明するのが難しいという話かな
- 「並列日記」はあきらかに造語
- これを「Scrapbox上で複数人が日記を書いている体験」をしていない人に説明できるか?
- 説明の深さ次第?
- 状況を説明することはできる気がする
- 深い説明は説明者にとってコスト