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西洋の知的進化は常にこのように弁証法的な発展を遂げてきた、ということになります。ここで重要なのは批判の持つ意味です。反対意見に対する批判を自分の立場からだけ見れば、それはあるいは信念にも非寛容にも(ポジティブにもネガティヴにも)とらえられますが、一歩俯瞰した第三者的な立場から見れば、弁証法的史観ではそれは新しい考えを導き人類を進歩させる正義(原則いいこと)になります。
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「空気を読む」というニュアンスが欧米人に伝わりにくいのは、ひとえにこの空気を読むという行為が、明確な対立構造が「ない」ことを前提としているためです。
- 「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 - piano-treeの日記
面白い主張
- 「空気を読む」という行為が成立するためには、場に明確な対立構造がない必要がある
- 弁証法的史観が広く普及している西洋では、対立が良いものと考えられ、あちこちに対立がある
- そのため「空気を読む」という行為がそもそも不可能であり、理解されにくい
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