Scrapbox的な網目状のものを網目状のまま保存できるツールと比べて、ツリー構造を強制されるアウトライナーはその制約の効果によって創造的効果が得られる、という主張

そして重要なのは、アウトラインを最終的に完成品(たとえば文章)としてアウトプットするためには/複雑なものを勇気を持って単純化しなければならない瞬間がくるのです。そのこと自体に思考を強制し、発動する効果があります。

実は発想と呼ばれるものの多くが、この強制的な単純化から生まれてくるのではないでしょうか。「文章にしたり人に説明したりするとその対象がよりよく理解できる」と言いますが、それは複雑で絡み合った情報を、単純なツリーやリニアな語りに強制的に変換しなければならないからです。その過程で情報は咀嚼され、自分の視点が確定します。アウトライナーで編集されるアウトラインは、「流動的なツリー」であることでそのプロセスを促すのです。

一方の網目構造では、複雑なものが複雑なまま存在できてしまいます。それは一見するといいことですが、ともすると素材が素材のままになってしまう可能性があります。

たとえば情報を保管し、必要に応じて引き出すということを第一義に考えれば、複雑な情報を複雑なまま扱える網目構造のほうが優れているかもしれません。しかし「文章を書き、考える」道具、つまり発想ツールとしてみた場合の有効性は、アウトライナー否定派がいうほど単純には決められないのです。

アウトライン・プロセッシング入門』 from アウトライナーの新しい形を考える – ゆびてく

KJ法でもB型文章化をする

発想の多くが強制的な単純化から生まれる