gpt.iconこのテキストは、社会の多様性包摂性inclusion)、異質性、そしてその全てが新しい技術の進歩にどう影響するかについての議論を展開しています。

まず、「異質性」という概念が登場します。これは、単に人々がそれぞれ異なるだけでなく、それらの違いが大きく、簡単には統合や包含(包摂)できないほどのものを指します。この文脈での「異質性」は、人間社会が持つ多様性が極端なまでに広がり、互いの違いを尊重しつつ共存するための新たな挑戦として描かれています。

次に、D&I(Diversity and Inclusion、多様性と包摂性)について触れています。D&Iは、様々な背景を持つ人々が平等に働き、生活できる社会を目指す概念です。しかし、このテキストでは、その実際の取り組みがしばしば「同質化」、つまり多様性を失ってしまう結果に繋がっていると批判しています。

さらに、LLM(Large Language Model)による革新が、人類に大きな変化をもたらす可能性について議論しています。技術が進化することで、人間社会がさらに複雑化し、旧来のシステムや手法が使えなくなる、あるいは淘汰される可能性があると述べています。例えば、より巧妙なマルウェア(悪意のあるソフトウェア)の出現などがその一例として挙げられています。

最後に、新しい技術の進歩により、LLM時代に適応できた人間だけが生き残る可能性があると述べられています。しかし、そのために技術進化を遅らせるべきかどうかは明確な答えが出ていないというのが結論です。


@nishio: 「異質性」面白いな 「単なる多様性の時代は終わりつつありますね。多様性というとインクルージョンの話になりがち…簡単には包摂できない差異をもった存在との共生を考える異質性…明確な違いをもつ人間たちといかに関係を構築するのか。」 遅延・GPT・異質性──武邑光裕と考えるオルタナティブな技術の可能性:なめらかな社会へ向かう6つの対話 #2 | WIRED.jp

hrjn D&Iも元来は異質な人たちの中での共生を目指していたはずなのだけど、実際として行われがちなのは言語教育であったりカルチャー浸透であったりして、包摂というよりは同質化なんだよなーとは思う。

包摂は、語義からすればより一般的な概念で包み込むことを指してたはずではある。

hrjn そういう文脈の中でpurpose経営とかが出てきたはずなんだけど、MVVとあんまり変化がないというか、教化する方向とかMVVに「共感できない」人を排除する方向にものごとを進めがちだよなーとかなんとか。

hrjn 技術進化、特にLLM系が革新的なのは、明らかに悪用/活用な技術なので極論LLM以前の人類を淘汰してしまうことすらあると思うのよなー。

hrjn 例えば、今までよりもより巧妙なマルウェアが出てきてもそんなに驚かない。既にbefore LLM時代のemotet ですらかなり感染が広がっている。あれがもっと手軽に巧妙化すると思うとちょっと怖いよね。

ある日突然、知らない社員がslackにいたと思ったら、マルウェアでしたみたいなことすらあり得る。

hrjn ここで結局、LLM時代に適応できた人類だけが残っていくというのは十分にありうるわけでなー。

けど、だからと言って技術進化を遅らせるべきなのかはよくわからんけど。