物理帝国主義 v.s. 形而上学帝国主義

hottaqu 「物理帝国主義」というワードがランクインしています。誤解があるといけないので言っておきます。私自身は侵略的な物理帝国主義をとっておりません。「侵略的」というのは相手の全てを奪い、植民地化することを指します。私は対話(ダイアローグ)を望む人間です。でも相手は一方的な場合もあります。

hottaqu 例えば一部の哲学者は「私は脳ではない」や「宇宙の時間に始まりはない」などの科学の知見を無視した論で、科学分野のテーマについていろいろ主張をする人もいます。脳科学もおさえずに、また一般相対論もおさえずに、学問境界を越えてきます。

hottaqu そんな哲学者相手でも、私は科学的知識に基づいた対話を望みます。しかし相手が「これは形而上的な哲学なのだから、そんな実証科学は要らない」と言い出したら、どう思われるでしょうか?そのテーマは、本来自然科学のものなのに。

hottaqu 「実在」「時間」「空間」、これらも現在では実証的な物理学のテーマです。例えば「実在」について、2022年のノーベル物理学賞もそうです。それは局所実在性の実験的否定に関する結果に与えられました。時間や空間の理解にも、もちろん一般相対論の知見が大切です。

hottaqu 多くの実験や観測によって、その高い精度が確認されてきた一般相対論も学んだことがなく、哲学分野から物理分野に越境をして「これは形而上学だから、これで良いのだ!」と叫ばれても、対話は成立しません。まずは現代物理学の基礎を学んで下さい。そして対話をしましょうということになります。

hottaqu 「存在」「時間」「空間」という大きな主語の哲学をしたいということでしたら、最小限の現代物理学の基礎を踏まえて論じて欲しいと、私は願っています。このことを「物理帝国主義」と呼ばれるのならば、仕方がありません。ただ最初に「形而上学帝国主義」で越境をしてきたのは、哲学者のほうです。

hottaqu 科学的なテーマにおける彼らの「形而上学」の論理は、実証科学の視点からは、全く空理空論です。実験や観測で分かっている事実をどう説明するのかの視点さえ入っていません。

hottaqu マッハ以前の哲学のように、物理学に影響を与える哲学者と対話したい。私はそう願っています。哲学者が現代物理学について来ようとしなかった前世紀には、そういう哲学に絶望をして距離を置いたアインシュタインやホーキングのような姿勢が、物理業界では主流でした。それを変えてみませんか?

hottaqu ですから今の哲学徒の皆さんに、私はそれを期待をしているのです。特に「存在」「時間」「空間」の現代的な哲学を拓きたいと願う哲学徒の皆さんに、それを期待しているのです。物理学徒を始め、物理学者は話し好きです。対話はウェルカムです。

rCEp5yIY32l5Mlt 1)その主張が書かれている文献を挙げること、2)その主張が現代の哲学の中で一定の地位を占めている根拠を示すことの2点がクリアされれば誤解は解けます。少なくとも1がない限り、哲学(科学哲学)界隈にしてみれば、現在の堀田さんは妄想の中の哲学者にクリンチしているだけに見えます。

hottaqu 『「私」は脳ではない (21世紀のための精神の哲学)』 (マルクス・ガブリエル著、講談社選書メチエ)。 『〈現在〉という謎 - 時間の空間化批判』(森田邦久編、勁草書房)。2)については、それぞれの哲学者をお調べ下さい。

rCEp5yIY32l5Mlt ありがとうございます。森田(2019)の方をKindle版をざっと読んだ感じですが、確かにこれはちょっとなぁという方いますね。私としてはBritish Journal of Political ScienceとかSocial Studies of Scienceをお読みいただくと堀田さんが対話したいという人とも出会えると思うので、おすすめです。

hottaqu ありがとうございます。