- 未来のことはわからないけども、10年前のやり方と10年後のやり方は大きく変化するんだろうな
- 10年前と今を比べると雰囲気がわかるかな?
- 2012年か・・
- 10年前と今を比べると雰囲気がわかるかな?
- AIと人間を一次元の軸に乗せて「追い抜いた!」「いやまだだ」という議論をするのは不毛
- 「自分と異なった得手不得手のあるアシスタントが24時間側にいるようになった」的な状態
- つい昨日、知的生産術であるKJ法の講義をして「1967年に川喜田二郎がKJ法を作ったときと状況が変わってるのだから、最適なやり方も変わる」と話してた
- このとき例に挙げたのはPCやスマホの登場
- その後Miroを使って、ポストイットとペンではやりにくい「考える花火」というKJ法の亜種をした
- 状況の変化で手法が変わる実例
- 帰ってきてから、ChatGPTを触った
- これが誕生した後の世界において、これが知的生産の方法に影響しないなんてことはあり得ない
- どう変わるのか、まだわからない
- このとき例に挙げたのはPCやスマホの登場
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- 1: かつて生身の人間がやっていたこと
- 2: AIによってできるようになったこと
- AIと人間を一次元の軸に乗せて「追い抜いた!」「いやまだだ」という議論をするのは不毛
- 「自分と異なった得手不得手のあるアシスタントが24時間側にいるようになった」的な状態
- AIと人間を一次元の軸に乗せて「追い抜いた!」「いやまだだ」という議論をするのは不毛
- 3: 領域に言及のための文字を振った
- Aに注目して「AIはまだAができてない」というのは不毛
- 新幹線はまだオムツの交換をできないけど、それが新幹線の価値を減らしはしない
- Bの領域は今後、人間がやるよりAIがやった方がいいよね、となっていく
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自分の力で書いていないわけだから、自分で文章を論理的に組み立てる力や英作文する力はつかないかもしれない
- 人間がBをやる力は衰えていく
- 一方で「人間がBをやる必要性」も減っていく
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- Cの領域はまだ見えていない
- なぜなら過去の人間はそれをできなかったから
- Bに近い領域から「もしかしてこんなことできるんじゃない?」という想像力豊かな人が試してみて「できた!」となって、だんだん広がっていく
- Aに注目して「AIはまだAができてない」というのは不毛
- 4: Cが広がっていくに従って、だんだんとDという「まだできてない」「できそうなこと」が見えてくる
- 人間とAIがそれぞれの得意な部分をやる分業とか、その分業をうまく組み合わせる仕組みだとか
- この「技術的に解決できるが、今はまだ解決されてない問題」が見えるようになるのは、Cの領域に進んだ人だけである