- できると思った量より実際にできた量が少ない現象はよくある
- 原因にはいくつかある
- 経験不足によって実際にできる量の見積もり精度が低い
- 若い人に頻発するが、若くなくてもしばしば起きる
- 予期しない出来事によって時間が取られる
- これもイレギュラーな出来事が発生する可能性を見積もりに入れてないという点では前者に似ている
- 加齢や体調などによって能力が低下してることを自覚できてない
- 特に中年の身体能力に関してしばしば起こる
- 子供の小学校の運動会で保護者の徒競走に参加して、できる以上の速度で走ろうとして怪我をする
- 身体能力ほどではないが、認知能力も加齢とともに低下する
- 特に中年の身体能力に関してしばしば起こる
- 経験不足によって実際にできる量の見積もり精度が低い
この時、どちらが正しいのかに関して解釈が2通りある
- A: 「できると思った量」が正しくて、できなかったことが正しくない
- できるはず、できるべき、と考える
- その通りにできなかった現状が間違っていると考える
- 間違いの原因帰属
- 自責: 自分が悪い、自分はもっと頑張るべき、自分がミスをしたのが悪い、自分はもっと成果を出すべきなのに出せてない
- 他責: 環境が悪い、邪魔をされた、環境が良ければ自分はもっと成果を出せたはずなのに足を引っ張られた
- B: 「できると思った」が見積もりミスであって、実際にできた量が事実
このAとBでは、その後の進捗によって得られる達成感が異なる
- Aでは次回も「やっぱりできてない」になる
- 続けていこうというモチベーションが損なわれる
- Bでは前回と比較して「今回は進歩した」となる
- Bの方が心の健康に良い
具体例
- 競技プログラミングに関するツイートを見てて、Aさんが「Bさんがあるランクを達成して喜んでること」に対して「どうやったらそんな低い基準の達成で喜ぶことができるのか」と言及してた(元ツイートのURLは見失ったので記憶から再現)
- 今までできなかったことが達成できるようになったのだから進歩であり、Bさんが喜ぶのはなんらおかしくないのだが、なぜAさんはこの状況を喜ぶことができないのだろう…と考えていた
- Aさんは上記の図のAのパターンになっていて、達成感が得られないのだろう
- これは長期的に見ると学んでいくモチベーションを損ねてしまう
- 新しいことができるようになることを常に楽しく思っていた方が良い
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