2021-03-12 「若者に『天才』というラベルを貼ることは有害である」という主張がある。
確かにそのラベルが原因の一部となって精神に問題が発生するケースはいくつも見てきた。しかし一方でそうなるのが少数派なのも観測事実。
だとしたら全部一緒くたに「有害」としてしまうのではなく、どういう時に有害になるのか、有害になる確率を下げるのにはどうすれば良いのか、を考えるべきだ。
天才ラベルが貼られると、メディアはその人を「強い人」であるように扱う。現実と乖離した、超人であるかのような虚像を作り出して楽しく消費する。
しかし生身の人間は「弱さ」を持っている。弱さを持った自分が本物なのだが、メディアや周囲の大人に遊ばれてるうちに「強い人」の虚像の方を自分だと思ってしまうと、現実と虚像のギャップに引き裂かれることになる。
2022-09-08追記: 若い天才をコンテンツとして消費するメディアは、対象者が引き裂かれて心を病んでも気にしない。なぜならその頃には新しい「若い天才」が入荷していて、古い商品を健康に保つことに彼らは価値を感じないからだ。
そういう勘違いを起こさないために「増長しないように叩きのめす」ことが必要だという人もいるけど、僕はちょっと違うと思う。それをおとなが、年上が、先輩が、年齢による権威勾配を利用してやるべきではない。
同期が、年下が、後輩が、すごい、という「下からの突き上げ」が良いのではないか。
得手不得手がある、互いに「自分より誰々の方が強い」と思っている集団を形成することが良いのではないだろうか。 「弱い天才の集団」である。
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