これはなかなか解釈の難しい話。 「常に真実の側にいる人」と「賢明な人」が別物。 著者がどちらか立場を良いと考えているのか、それともニュートラルなのかわからない。

「常に真実の側にいる人」の支持者は少ない。その人は自分の考える「正しさ」のために友情や権力や私利私欲と戦うことを厭わないからだ。「賢明な人達」は目上の人や国家的目的の邪魔にならないように真実を曲げる。しかし「常に真実の側にいる人」は、真実を曲げることを一種の反逆とみなし、賢さよりも真実を重視する。

from The Art of Worldly Wisdom 廉潔の支持者は少ない

xxix 廉潔な人は、その粘り強い目的によって正しい宗派にしがみつき、暴徒の情念も暴君の暴力も、決して彼を正しい境界から踏み外させることはできない。しかし、誰がそのような衡平のフーニックスになることができようか。廉潔の支持者はなんと少ないことか。確かに多くの人がそれを賞賛するが、それは他の人のためである。そして、偽善者はそれを否定し、政治家はそれを隠蔽する。友情、権力、あるいは私利私欲と戦ってもかまわないからだ。そのとき、脱走の危険がやってくる。そのとき、賢明な人々は、目上の人や国家的な理由の邪魔にならないように、もっともらしい区別をする。しかし、素直で不変の者は、偽りを一種の反逆と見なし、賢さよりも粘り強さを重視する。このような者は常に真実の側にいて、もし彼らが政党を脱退するとしても、気まぐれからではなく、他の者が最初に真実を脱退したためである。