物理的に言えば、険しい山道を歩くのに金貨を持ってきて、疲れて死んだ人の話。 精神的に言えば、極楽浄土に向かう厳しい修行の道において、富は飢えを満たさず、重荷となって先に進むことを妨げ、最終的には目的を達成する前に死ぬことになる、という話。
この小判地蔵は、飢えと疲労のために、 小判をくわえたまま、ここで倒れたという巡礼を弔って、まつられたものである。 地蔵には「道休禅定門」という名が彫りつけてあり、豊後国 (大分県) 有馬郡の人であったことがわかる。 多分伊勢と熊野に参って紀三井寺へ向かう途中、嘉永七年(1854) 七月十八日に亡くなり、その死を哀れんで、この地の愛洲氏が主になって、地蔵を建てたのである。
看板しか写真撮ってなかった