要約:
- 富とは所持量ではなく、どれだけ他者に価値をもたらすことができるかにある。一見、自分のためだけに生きる価値観と矛盾するように見えるが、実際には与える行為がどれだけ社会に価値をもたらすかで評価されるべきである。効果的利他主義や長期投資の考え方がこれを補完し、与える相手の選択にも注意が必要である。
「富とは、いくら持っているかではなく、いくら与えることができるかである」
この価値観と肩をすくめるアトラス的な価値観とは食い違うのではないか?と考えた
- 私は決して他人のために生きることはなく、他人に私のために生きることを求めないのこと
- 一見食い違うように見えるが、実は食い違わない
- 「いくら与えることができるか」は自分の手から離れた時に測られるのではなく、長期的に測られる
- 「自分の手から離れた時の価値」で測る場合、1万円を「すぐにパチンコに使う人」に渡すのと「発展途上国の優秀だが生活が苦しい子供」に渡すのではまったく同じだということになる
- これはおかしい
- なぜおかしいかというと、後者は「生きていくために必要なお金を稼ぐための仕事を数十時間すること」を節約し、勉学をする時間を作るから
- それは社会に対してより大きな価値となる
- つまり「与えることによって強くなり、より大きな価値を生み出す存在」に与えること
- 「自分の手から離れた時の価値」で測る場合、1万円を「すぐにパチンコに使う人」に渡すのと「発展途上国の優秀だが生活が苦しい子供」に渡すのではまったく同じだということになる
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2023-10-26: 富の定義 から分離した