image 漠然とこんな感じの同心円的なイメージを持っている人が多いように思う。 子供が持っている知識は大人が持っている知識の一部である、子供ができることは大人ができることの一部である、子供の持っているスキルは大人が持っているスキルの一部である、という思い込み。

でも、こういう議論をするときに、子供の側を具体的な一個人にして、大人の側を漠然とした集合にするのではまともな比較になってない。子供の側を具体的な個人にするなら、大人の側も具体的にするべきだ。例えば「あなた」としよう。

現実に起きていることは下図のようなことだ。 image あなたは、企画書を書いて9倍以上の倍率を勝ち抜いたことがあるか? あなたは、自分でスマホアプリを実装してリリースまで至ったことがあるか? あなたは、専門家の目から見ても瑕疵の見つからない新しいアイデアを提案実装したことがあるか? あなたは、自分のプロジェクト達成に必要なリソースを得るために、あちこちに電話をかけまくったことがあるか?

あなたより若くて、あなたが成し遂げたことのないことを成し遂げた人ってのは実在するのだ。 つまり、同心円のイメージは明らかに誤っている。 image

大人と大人の間でも、互いの専門性の違いによって「ある人が得意なところを自分はできない」ってのは珍しくなく起こっている。あなたが仮に30歳のプログラマだとして、25歳のデザイナに「25歳なのに絵がかけてすごいね」とは言うだろうか。28歳の起業家に「28歳なのに起業するなんてすごいね」って言うだろうか。それは相手に対して失礼だとは思わないだろうか。 image

25歳の人に対して言うと失礼に当たることが、15歳の人には失礼に当たらないわけがない。それは暗黙に年齢で差別をしている。自分の中の差別心に気づいていないだけ。