陽のキャラを略して「陽キャ」っていうけど、その「陽キャ」という言葉でイメージされる活発に社交してる人の中に心の中がどんよりと陰の気に満ちている人がいる。

  • 必死に隠しているので観測しにくいが、陽の人からエネルギーを吸い取る傾向がある

逆にパーティ的な場を避け、一人で家にいることを好む人の中にも内面が陽の気に満ちあふれている人がいる

  • 別の表現をするなら、たとえば何かを作っていて「自分は世界に新しいものを作り出すことができる」という自信に満ち溢れている
  • 「外面が陽で内面が陰の人」にエネルギーや時間を吸い取られて、不快に思ってパーティ的な場を避ける行動が強化されてたりする

内外ともに陰の人もいるのでこの二つの軸は独立だと考えた方が良い

SNSが発展する以前、外面が陰の人は社会から観測困難であって、そのうちの内面が陽の人だけ「作り出したもの」を介して社会に認知された

  • つまり両面が陰の人は社会からターミネートされていた
  • SNSの登場により発信のハードルが下がり、外面のエネルギーが低くても社会に出てくるようになった
    • これはパンドラの箱が開いたような状態か?
    • 閉じる方法を考えるべきなのか、もはやどうしようもないのでこれを踏まえて次の社会をどう設計するかを考えるべきなのか?