研究者は身銭を切るして研究すべきである論
- 有益な研究だったら市場が支払う
いや長期的に価値があるけど短期的な価値が明確でない基礎研究は市場に任せると投資が不十分になるのでは
- 関連: 市場か政策か?
基礎研究は本当に公共インフラなのか
- 公共インフラとはそもそも何か?
- 正の外部性があるもの?
- 基礎研究が公共インフラだとして、世界の公共インフラに日本が支払う理由は?
- フリーライド可能だよね?
- 例えば道路という公共インフラは市民全員から使用料を徴収するのではない
- 十分な所得がない市民は税金を取られない
- 短期的な価値が明確でないものに支出することが「納得」を生むかどうかは市民の懐の余裕による
- 余裕があれば「まあいいんじゃない?」になる
- 余裕がないなら「そんなものに使うくらいならこれに使え!」となる
この後
- 「基礎研究をする科学者は身銭を切って活動すべきなのか、それとも市場に任せると投資が不足する公共インフラとして政府が投資すべきなのか」をomniに投げたらこう出力した
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基礎研究は社会全体の利益に対して重要な役割を果たすため、公共インフラとして政府が投資すべきである。しかし、その投資は目的論的ではなく、非目的論的な活動に向けられるべきである。また、基礎研究と産業応用はそれぞれが進行すべきであり、一方が他方を支配するべきではない。
- 引用として反脆弱性から「政府がお金をかけるべきなのは、研究ではなく非目的論的ないじくり回しである」を引いてきた
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政府がお金をかけるべきなのは、研究ではなく非目的論的ないじくり回しである…
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「政府の助成はいっさい不要である」という結論が論理的に導けるとは思わない。私が反対しているのは、研究全般というよりも目的論だ。…
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問題は、役人たちのやり方が目的論的すぎるということだ(特に日本)。
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大企業もそうだ。 巨大製薬企業など、ほとんどの大企業にとって、敵は自分自身なのだ。
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- 残りの部分は/motoso/自分が共感できないものは無価値
- 「わからないから研究をするのであって、はじめからわかっているならやっていない」ので「短期的には成果が得られない」のは当然、だから「基礎研究と産業応用はそれぞれやっていくべき」という考え
- 理解されにくさに関する関連: 自分の価値観から遠いものは低評価になる
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企業のR&D部門などで行なわれている開発研究は、具体的な用途を想定せず純粋に新しい知識を得るための基礎研究があってはじめて成り立ちます。 --- 日本進化論
- これも「非目的論的ないじくり回し」
- 加えて人材育成の重要性にも言及している
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これまで通り大学による人材育成も大事です。 MITもスタンフォード大学も、人材の価値を最重視してその育成に力を入れています。 人材はお金をかければ伸びるのは間違いありません。 そこは国がサポートしながらしっかりやっていくべきだと思います。
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