old title: unnamedの概念は有益 文章を書いてからタイトルをつけるをしばらく試して、unnamedというタイトルをつけるようにした
- 今までもタイトルが思いつかない時に「あああ」などと適当なタイトルをつけて書き始めることはあった
- これは「仮のタイトルすら思いつかない時」に限られていた
- つまり基本的にはタイトルを先に書いていたということ
- 無意識にその行動をしていた
- 例えばある文章を書いてて、キーワードXについてもっと掘り下げたいと思った時にXをリンクにしてそれをたどって編集画面を開く
- このとき、タイトルにはあらかじめXが入っている
- これをこのまま使っていた
- これはよくない
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特に「書きながら考える」とき
- 「書くことがあらかじめ決まっていた」のではない
- そういう場合、最初のきっかけの概念から考えているうちに違うところに進んでいく
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- なのに部屋のことを「たまたま最初にその部屋に入った時のドア」の名前で呼ぶのはおかしいのでは
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そこで、仮のタイトルと中身に差があるなと思った時点でタイトルをunnamedにする
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“unnamed”というネーミングがよい
- “no name”ではない
- これは「名前がない」という状態のイメージ
- その状態をよしとして留まるのか、そこから動くのかは暗示されていない
- 「un-」
- doに対するundo
- learnに対するunlearn
- 「namedでない状態」と「nameを取り消す動き」の両方のイメージを持つ言葉
- 動きのニュアンスがあるからか「この後名前がつけられる」と感じる
- あえて名前をはがした。それは何のためか
- より良い名前が浮かび上がるための余白を作り出すため
- “no name”ではない
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