仏説 般若波羅密、即非 般若波羅密、是名 般若波羅密 金剛般若経 …とされてるが直接的にこうは書かれてないっぽい Xはnot XであるがゆえにX 体験を重視する立場では、 体験にXという言葉をつけた時点で、それはもはや本来の体験自体とは異なっている 「言葉としてのX」は「体験としてのX」とは異なる。 これを言葉としてではなく、体験として理解する この理解を「[般若波羅密]」と呼ぶことにする 『「言葉としての”悟り”」は「体験としての”悟り”」とは異なる』これが”悟り”である