力への意志は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期著作に登場する、突出した哲学的概念のひとつである。 人間を動かす根源的な動機
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達成、野心、「生きている間に、できるかぎり最も良い所へ昇りつめよう」とする努力
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「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲」
直接の影響を受けたのはアルフレッド・アドラーである。アドラー心理学には力への意思の概念が反映されている。 これはウィーンの他の心理療法学派と対照的である。それらにはジークムント・フロイトの[快楽原則]、ヴィクトール・フランクルの[ロゴセラピー]などがある。それぞれは、人の根源的な動機を別々に定義している。
この言葉が公刊された著書に初めて出てくるのは『ツァラトゥストラはこう語った』第2部「自己超克」の章である。 そこでニーチェは、「賢者」たちが全ての物事を思考可能なものにしようとする「真理への意志」の正体が、一切を精神に服従させようとする「力への意志」であると批判している。 すなわち、力への意志はルサンチマンと当初密接な関係があり、否定的なものとして記されていた。 しかしやがてニーチェは力への意志を肯定的な概念としてとらえ直す。 あえて積極的にニヒリズムを肯定し、ニヒリズムを克服することが力への意志となり得るのである。
力への意志は権力への意志と訳されることもあるが、力への意志の「力」は、人間が他者を支配するためのいわゆる権力のみを指すのではない。また「意志」は、個人の中に主体的に起きる感情のみを指すのではない。力への意志は自然現象を含めたあらゆる物事のなかでせめぎあっている。力への意志の拮抗が、あらゆる物事の形、配置、運動を決めている。 つまり、真理は不変のロゴスとして存在するものではなく、力への意志によりその都度産み出されていくものなのである。この思想はジル・ドゥルーズの差異の哲学に受け継がれた。
また永井均はこの概念を指して、「力への意志」というよりは「力=意志説」と呼んだほうが良いと書いている。
ニーチェは、キリスト教主義、ルサンチマン的価値評価、形而上学的価値といったロゴス的なものは、「現にここにある生」から人間を遠ざけるものであるとする。そして人間は、力への意志によって流転する価値を承認し続けなければならない悲劇的存在であるとする。だが、そういった認識に達することは、既存の価値から離れ、自由なる精神を獲得することを意味する。それは超人へ至る条件でもある 力への意志 - Wikipedia