考えが時間軸的に発展したとき、一次元的になる これを円環状に閉じたらどうなる?
出力しているうちに話が逸れていく
- 大きくそれた話は書き終わってから末尾と先端を繋ごうとすると離れすぎていて繋がらない
繋がらないことによって「一つの話題ではない」が明らかになる
- しかし各行間は密につながってるので切り離すこともできない
「一つのページに一つの話題」
- それぞれが円環となるように作るとどうなるか?
- ヘプタポッドの言葉ぽい
これはどういう形の出力が良いと思うかという決め事の問題
- 多くのホモサピエンスが、今までそうしてきたからという理由で一次元的であることを好む
- 音声でのアウトプットがそうであることによる
- Scrapbox上の箇条書き議論はそれぞれの行を異なる人が書いてツリー状になっている
- マインドマップを共同編集してるのに似た状態
- このツリー状の出力をありだと思う人と「ぐちゃぐちゃだ」と思う人もいる
- 結局慣れの問題
普通の文章を書くときは「前後の文章がつながっている」という制約が入っている
- 箇条書きの時はデデント時にはつながってなくても良いと制約を緩めてる
- 円環的なページではページの末尾が先頭につながってなくてはならない、という制約が付け加わる
短い文章だと、単に先頭行を末尾に置くだけで円環的なページになる
- 難しいことではない
- むしろ「なるか?」と考えて、微修正では円環にならないとき「これは複数のテーマが含まれているのでは?」となる
ここまでを円環的なページにするためにKozanebaにおいて見た
これをつなげる… 円環的なページとは末尾と先頭がつながるページ
繋げた上で逆順に読んでみる
話が逸れると先頭と末尾がつながらない 複数テーマが含まれていることに対しての 気づきの機会 そのために制約を付け加える
円環状に閉じたページ 円環的なページとは末尾と先頭がつながるページ 話が逸れると先頭と末尾がつながらない 一つのページに一つの話題が円環となるように作る これは決め事の問題 一次元的文章を好む人も多い ツリー状の表現を好む人も嫌う人もいる 慣れの問題、円環状の文章にまだ慣れていない ページを円環状にしようとし、できないとき、話題が複数であることに気づく 気づきの機会を得るために制約を増やす ページの末尾が先頭に繋がっていなければならない 円環状に閉じたページ 円環状に閉じたページ
円環にする上で切り離された部分を別ページにする
徐々にそれた話は分割が難しい 考えが時間軸的に発展したとき、一次元的に出力しているうちに話が逸れていく 大きくそれた話は書き終わってから末尾と先端を繋ごうとすると離れすぎていて繋がらない 繋がらないことによって「一つの話題ではない」が明らかになる しかし各行間は密につながってるので切り離すこともできない
人によって好む出力形式は異なるが慣れの問題
- 多くのホモサピエンスが一次元的であることを好む
- 音声での対話がそうであることによる
- 今までそうしてきたからという理由
- 慣れ
- Scrapbox上の箇条書き議論はそれぞれの行を異なる人が書いてツリー状になっている
- マインドマップを共同編集してるのに似た状態
- このツリー状の出力をありだと思う人と「ぐちゃぐちゃだ」と思う人もいる
- 結局慣れの問題
- 図解や一コマ漫画を使う人もいる
- 言葉で説明するより描いた方が楽なことがしばしばある
- 描くことに苦手意識を持っている人はこの出力形式を避ける
- 形式とは制約
- 普通の文章を書くときは「前後の文章がつながっている」という制約が入っている
- 箇条書きの時はデデント時にはつながってなくても良いと制約を緩めてる
- 円環的なページではページの末尾が先頭につながってなくてはならない、という制約が付け加わる
- 制約がある方が読み書きしやすい人と、ない方が読み書きしやすい人がいる
- ある方が読みやすく、ない方が書きやすい
- その「しやすさ」の度合いは慣れによって変わる
- 普通の文章を書くときは「前後の文章がつながっている」という制約が入っている
感想
- 「この円環状のページはこの議論を経て作られた」という加筆ができない
- 文章を書いてからタイトルをつけると似ている
- タイトルで本文の先頭と末尾をつなぐ形になるのでタイトルがきちんと本文全体の主題になっていなければならない
- 単に円環状にするだけならそれほど難しくない
- ついつい「もっと難しいことをしよう」と考えて「逆順で読めること」という制約を無意識に増やしている
- これは大変