- 週刊東洋経済2001.6.9-7.28
- 連載インタビュー 「入門ピーター・ドラッカー-8つの顔」
- 上田 惇生
- http://www.iot.ac.jp/manu/ueda/interviewJ.html
ドラッカーの考え方の全体像に対するよい要約だが分量が多いのでさらに濃縮した読書メモにしたい。まず抜き書きした。
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今日の転換期を予告した『断絶の時代』(1969年)
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高齢化社会の到来を知らせた『見えざる革命』(1976年)
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バブルの危険を警告した『乱気流時代の経営』(1980年)
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起業家精神についての嚆矢の書ともいうべき『起業家精神とイノベーション』(1985年)
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ソ連の崩壊を予知した『新しい現実』(1989年)
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今日の転換期の行方を活写した『ポスト資本主義社会』(1993年)
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ビジネスの前提と現実が変わったことを知らせた『明日を支配するもの』(1999年)
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経営学の古典『現代の経営』(1954年)の冒頭
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経営管理者は事業に命を吹き込むダイナミックな存在である。彼らのリーダーシップなくしては、生産資源は資源にとどまり、生産はなされない
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彼は継続と変化の双方を求める。継続がなければ社会ではなくなり、変化がなければ社会は発展しない。
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社会生態学は、分析と理論ではなく、知覚と観察を旨とする。
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世界がどのような状況にあり、どのような状況が迫っているかを見て、伝えることがドラッカーの仕事である。
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ドラッカーは未来について確実に言えることは、二つしかないという。第一に未来は分からないということ、第二に、未来は現在とは違うということである。
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したがって未来を知る方法もまた二つしかないという。一つの方法は、すでに起こったことの帰結を見ることである。彼自身の予測についても、すでに起こったことの帰結、つまりすでに起こった未来を知らせたにすぎないという。
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1946年に発表した「ケインズ――魔法のシステムとしての経済学」(『すでに起こった未来』に収載)
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「変貌した世界経済」(『マネジメント・フロンティア』(1986年)、『イノベーターの条件』(2000年)に収載)
- 一次産品経済と工業経済の分離、製造業における生産と雇用の分離、実物経済とシンボル経済の分離
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『ポスト資本主義社会』(1993年)
- 転換期は2020年頃まで続く
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今日われわれに必要とされている知識とは、行動のための知識、しかも客観的で伝達可能な体系化された専門知識
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知識は役に立つことがわかった。世の中を変えるのは知識であり、これからはますますそうなることが明らかになった。
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ということは、知識には役に立つものと立たないものがあるということだ。
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よい知識とよくない知識があるのではないかとの疑念が生じた。
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ドラッカーは『断絶の時代』(1969年)においてこれを指摘した
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今後、特に必要とされる知識がマネジメントだという。
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マネジメントとは、高度に専門的な知識を他との協働で有効なものとするための方法である。
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今や、自らをいかにマネジメントするかが、重大な意味を持つ。ドラッカーが『明日を支配するもの』(1999年)で展開したパラダイム転換論は体系としてのマネジメントの本質と、その現在の状況を確認するものだった。
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知識が中心である社会における教養とは、読み書きに加えてコンピュータ、外国語、マネジメントの知識、自らの専門領域についての高度な知識、その他の専門領域の意味性の知識、そして自らをマネジメントするための知識を持つことである。
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いかに自らをマネジメントするか
- 特に、いかに時間をマネジメントするか、いかに自らの考えをプレゼンテーションするか、いかに他人とコミュニケーションを図るか、いかに変化の先頭に立つか、つまるところ、いかに自らをして貢献せしめるかといった、自らをマネジメントする能力が不可欠となる。
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意思決定の能力やイノベーションの能力は、知識労働者にとって、成果を上げる能力そのものである。こうして全員がチェンジリーダーとならなければならない。
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知識が中心となる社会では、強みを伸ばすことによって得られる高度の専門性と、周辺知識の意味性への理解が物を言う。
- 意思決定では個別の問題ではなく根本を考えなければならない。問題が一般的なものか、特殊なものかを識別することが最初のステップである。
- 起業は機会を分析し、外の世界を見たうえで、トップを目指して小さくシンプルに始めなければならない。
- 人事では強みを重視すること
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マネジメントの知識こそが現代の万人のための帝王学
- 万人のための帝王学として書いたものが、三五年も前の著作『経営者の条件』(1966年)
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マネジメント3つの役割
- 第一は、それぞれの組織に特有の社会的機能をまっとうすること
- 組織はすべて、社会に貢献するからこそ、存在を許され、場所を占有し、人を雇用し指示することを許されている。
- 第二は、それぞれの組織にかかわりを持つ人たちが生き生きと生産的に働けるようにすることである。社会的な存在としての人間は、自らの能力を存分に発揮し、自己実現し、社会に貢献することを求める。特にこれからは、生き生きと生産的に働くことのできない組織からは、人が去っていくという時代になる。
- 第三は、世の中に悪い影響を与えない、組織の強みを用いて、社会の問題を解決する
- 第一は、それぞれの組織に特有の社会的機能をまっとうすること
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利潤動機なるものの実在が怪しい
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企業のよい点は、利益という必要条件が存在することである。つまりは倒産する機能が内在化されていることである。倒産するという機能は、自由企業体制なる制度の最も優れた点である。#倒産する機能
- つぶれるということは、経営に誤りがあった証拠である。
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ノンカスタマー
- 客となるべきでありながら客になっていない人たち、つまりノンカスタマーへの関心が事業の明日を決する。ノンカスタマーに注意しなかったために衰退していく業種、企業は多い。変化はノンカスタマーから起こるからである。
- 事業とは顧客の創造である
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これからは、およそあらゆるものが、アウトソーシングの検討の対象になるという。
- どうしてもアウトソーシングできない分野として残るものは、何か。
- この問いに対するドラッカーの答えがマーケティングである。
- マーケティングこそ、あらゆる事業にとって不可欠の機能である。
- 客を創ることをマーケティングという。マーケティングとは販売活動の総称ではない。
- 組織の存在価値は組織の外の世界にある
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明日のことはわからない。わからないからこそ、自分で明日を作ることが必要となる。自分で自分を陳腐化しなければならない。そのほうが、結局はリスクが小さい。
- 『イノベーションと起業家精神』(1985年)で起業家精神の方法論を述べている。
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学校は不得意なことを補うところではなく、得意なことを伸ばすところにならなければならない。
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”自分の強み”を本当に知る
- 知識労働者は、自分を雇っている組織よりも寿命が長くなる。
- 定年の延長ないし禁止は、社会的な要請である。
- これからの知識労働者は、自らの属する組織よりも長生きする。このことを前提として人生を設計しなければならない。
- 何事かを成し遂げられるのは、強みによってだけだ。弱みは何物も生み出さない。幸い組織の妙味がここにある。組織の中で一人ひとりの人間それぞれの強みを生かし、弱みを意味のないものにすることが人事の要諦である。
- 仕事の仕方についても同じことがいえる。仕事の仕方も人それぞれ。それが個性である。
- ドラッカーは、なぜかはわからないが、仕事の仕方についての個性は仕事に就くはるか前に形成されているという。したがって、仕事の仕方も、強みと同じように与件だ。与えられたもの、決まったものである。変更はできない。少なくとも簡単にはできない。
- 自分の強み、得意な仕事のやり方を発見することは難しくない。数年を要するかもしれないが、どのような分野で、どのような仕事のやり方が成果をもたらすかはわかるようになる。
- ドラッカーは、そのための手っ取り早い方法として、16世紀の半ばにカトリックのイエズス会とプロテスタントのカルバン派が採用していたフィードバック分析を推奨する。
- 何か大きなまとまったことを行う際には、期待する成果をあらかじめ書き留めておき、何カ月後かにそれを実際の成果と比べてみる。そうすると、成果の側面から見た自分の得手不得手、分野と方法がよく分かるという。
- 知識労働者は、自分を雇っている組織よりも寿命が長くなる。
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自らが強みとするものと、自らが価値ありとするものとが違うときが問題だ
- 価値ありとするほうを優先させなければならない。
- だったらまず自分が何を価値ありと考えるか
- 組織にも企業にもそれぞれの価値観がある。一人ひとりの人間にも価値観がある。成果を上げるためには、自分の価値観が仕事の価値観になじまなければならない。同じである必要はないが、共存しうるものでなくてはならない。さもなければ、心楽しまず成果も上がらない。
- 世の中に貢献しているという実感がわかず、人生そのもの、あるいはその一部を割くに値しないと思われる。
- 自分の強みは何か、自分の仕事のやり方はどのようなものか、自分にとって価値あるものは何か、という三つの問題に答えが出さえすれば、いわゆる得るべきところも明らかになる。
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最高の仕事は、頭の中で計画してできるものではない。自らの強み、仕事の仕方、価値観を知ることで、用意していた者だけが手にできる。なぜならば自らの得るべき所を知ることによって、働き者で有能ではあるが、とりたてて才能があるわけではない普通の人が、超一流の仕事をできるようになるからである。
- ドラッカーが『明日を支配するもの』(1999年)で、微に入り細にわたって言っている
- 一度しかない人生。自らにとって価値のないことを追求していたのでは、あまりにもったいない。
- 自分について知っておくべき大事なことは、緊張や不安があるほうが仕事ができるか、安定した環境のほうが仕事ができるかである。どちらでもよいという人はあまりいない。
- 意思決定者とその補佐役との、いずれとしてのほうが成果を出せるかである。補佐役さえいれば、自分の責任で自信をもって意思決定を行える人たちがいる。逆にナンバー2として活躍していたが、トップの座に就いた途端に耐えられなくなる人もいる。トップの座には意思決定を行える人が必要だ。
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社会的な存在としての人間が幸せであるためには、何をおいても社会として機能する社会が存在しなければならない。そのための条件は何か。
- 社会が社会たるための条件については、『産業人の未来』(1942年)で詳しく論じている。人の集まりが単なる群衆ではなく、社会として機能するには、そこにいる一人ひとりの人間に位置づけがなければならない。位置づけのない人間の集まりは群衆にすぎない。同時に役割がなければならない。役割のない人間の集まりは烏合の衆にすぎない。
- この二つの条件に加え、そこに存在する権力が納得できるものでなくてはならない。納得できれば、世襲であろうと、神からの授かりものであろうとかまわない。これが社会、ひいては組織が社会として成立するための三条件である。ドラッカーの「社会に関する一般理論」である。
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ブルジョア資本主義は、経済を中心に据えて利潤追求を行えば、「神の見えざる手」が社会を望ましい状態にするとした。逆にマルクス社会主義は、生産手段を資本家の手から奪い利潤追求をなくせば、プロレタリアは解放されるとした。
- どちらも経済中心のイズム、経済至上主義だ
- 第一世界大戦による大量の戦死者と、その後に起こった大恐慌による大量失業者の発生で、そんな経済至上主義はいらないという状態になった。
- 経済のために生き、経済のために死に、経済のために戦い、経済のために休戦するなどということは嫌だということになった。しかし、自らの手で勝ち取った民主主義に愛着のあったイギリスやフランスは、自由と平等にこだわり、全体主義に進むには躊躇があった。
- 一方、国家統一の副産物として、与えられた民主主義しかなかった国、つまりドイツ、イタリア、日本は、耐えきれずにファシズム全体主義に走った。ファシズム全体主義の本質は、軍国主義でも弾圧でも暴力でもない。それらは付随的なものである。本質はもっと深い。それは、「脱」経済至上主義である。
- 『「経済人」の終わり』(1939年)のテーマ
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何が人を幸せにするのか。
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ドラッカーは、日本の会社主義に一つの形を見いだした。
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勤務時間が終わった後まで仕事の話をするサラリーマンのいる日本は、従業員を部品扱いする欧米とは異質。
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勤め先がコミュニティとなり、絆と安定をもたらしていた。
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ところが、会社主義は行き過ぎのあまりの袋小路に入ってしまった。
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もし日本が、人と人との絆を大事にしつつ、開放的で出入り自由な組織を実現できれば、それこそ世界のモデルとなりうる。事実、日本では会社を辞めていく者を応援する会社が現れてきている。
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アメリカでは、NPOが自己実現と絆の場となっている。自らの能力をフルに発揮し、社会に貢献し、他者との絆を確認する所がNPOだ。
- アメリカのNPOは企業のマネジメントに多くを学んだ結果、急成長した。
- 今日では企業のほうがNPOから多くを学ぶ段階になっているという。
- 知識労働者の動機づけ、使命感
- 取締役会(NPOの理事会)とマネジメント(執行部)との関係
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『非営利組織の経営』(1991年)
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政府が自らの手で社会を救うことができないことは、今や誰もが知っている。ドラッカーは、政府には不得手なことがあるという。自ら実行者になることだ。基盤やルールは作れるし、作らなければならない。しかし自らはプレイヤーになれない。恐ろしく不器用である。
- プレイヤーとなるNPOが働きかけて、基板やルールを作らせねばならない。
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ドラッカーは、事業はすべからく小さくはじめよと説いている。おまけに予期せぬ客が来たら、それが本当の客だといっている。何事であれ事前評価は難しい。
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われわれの今の転換期は1965年ごろ始まり、おそらくは2020年ごろまで続くであろうというものである。しかも2020年以降の安定期といえども、知識が中心の社会であるからには、”変化が常態”という種類の安定期であるにすぎない。
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転換期後の時代が、経済至上主義社会でないことだけは確かだという。
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経済については、資本中心の時代から知識が中心の時代へと変わる。
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生産性についても、重要なのはもはや単純肉体労働のそれではない。肉体労働の生産性にかかわる問題は、テイラー以降の生産性革命が一応解決した。これからの問題は、知識の裏付けを持つ肉体労働の生産性である。もはや一国の経済、一人ひとりの人間の働きがい、生きがいの源泉は、知識労働である。知識労働の生産性が最大の課題である。
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ここに一つ重大な問題が残る。知識社会への流れから取り残される人たちである。全員が知識労働者になれるわけではない。彼らの尊厳、生きがい、社会的な位置づけの問題が残る。
- この問題の解決の基本は、単純肉体労働および単純サービス労働の生産性を飛躍的に向上させ、貢献と働きがいを鮮明にすること以外にない。
- 経済学者は肉体労働者の働きがいの問題には触れない。しかし、ドラッカーにとって、取り残される肉体労働者も重大な関心事である。カウンター・カルチャーの問題として正面から取り上げている。なぜなら、彼らもかけがえのない大切な人間であり、取り残される者のいる社会は、社会として機能しているとはいえないからだ。
- この「知識労働者」「肉体労働者」はドラッカーの誤解を招きやすい用語の代表格: 知識労働者
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ドラッカーの経営学は、内部化されたアウトサイダーとしてのコンサルタントの仕事を通じて、生まれ育ってきている。
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唯一の正しい答えはない
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あらゆるものを、常時見直しの対象としていかなければならない。