from 人生の選択肢をどうやって知ったか? 人生の選択肢をどうやって知ったか?150〜200

tujimura_haruna: 知った理由 秋山竜次の追っかけをしていた時神保町花月の警備員さんと仲良くなりよしもとNSCに歌組があることを知った教えてもらった ターニングポイント 歌組に入学した 結果 お友達が増えて世界が広がり同期のつながりでバンドを組んだり、オーディションの存在を知ったり、楽しい。友達増えた。

  • tujimura_haruna: ちなみに、歌組は歌の授業はなく、歌卒という卒業生のための授業はあったのですが翌年から歌組が無くなったためそれを受けることも無く 完全に友達を増やすための入学金と合宿金でしたが、そういった意味で完全に元は取れている気はします 行かなかったifより断然楽しい人生になりました友達出来ました

tokeikun: 大学一年生の夏にStanford大学で寮生活の語学研修に参加したことですね。大学が斡旋するプログラムとは違う団体が実施していたのですが、英語の授業のガイダンスで説明があり、そのプログラムだけ夏休みなのに3単位とれるというのを知って参加しました。

otahi: 私は「別大学の大学院に進学したこと」です。 選択肢を知った経緯は「宅配ピザのバイトの同僚が、たまたまその大学院のある大学の学生で、それをきっかけに、その大学のことを調べたから」です。その同僚からその選択肢を教えてもらっておらず、ネットで調べたはずです。

amy_cherriee: 「大企業の内定を辞退した」ことです。スペイン巡礼の旅を経て決意することができました。異国の地で二週間歩き続けて、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちと人生について話し、自分と向き合う時間を過ごしました。その旅について知ったのはふらっと入った書店でした →

  • amy_cherriee: まさに自分の将来について思案していたときだったんです。気づけば旅行コーナーにいて、直感でスペイン巡礼の本を手に取っていました。読んですぐに心動かされました。思い立ったが吉日と、二週間後のスペイン行きチケットをその場で予約。 直感に従って行動したのが良かったです。 →

  • amy_cherriee: 異国の地で素晴らしい人びとや人生観と出会い、アドバイスやヒントをもらい、自分で考え、決めることができました。内定を辞退して一旦フリーターになったことで社会のアウトサイダーになりましたが、選択を間違えたと思ったことはないです。そして、この選択を期に人生がより良くなっていきました。

Shanghai00001: 90年代上海駐在に立候補したこと、そこから上海で濃い人生を20年。海外勤務志望だったので常に会社内でチャンスがあるかアンテナを張ってました。

87kan87: 学生時代に、自分の通う大学の国際関係の部署でアルバイトしたこと。直近の転職はそれが職歴として評価されたおかげで叶ったのではないかと思う。

  • 87kan87: 応募要項で求められた分野の学位を持っていなかったけれど、副専攻の取得単位とアルバイトの内容の合わせ技で書類審査を通過出来た(ような気がする)。

DandeKatze: 部活を辞めるとき「その選択をしても大きく損はしない」と知っている人から教わったことが1回、大学院に進学するとき「まずは学部での指導教員に相談してみよう」と大学からもらった冊子?に書いてあったような・・・というのが1回です。あまり参考にならないですが。

ssengoku: 神輿會に所属しそれなりの祭で担がせて頂いてますが、きっかけはいきつけの床屋の兄貴に誘われたからですね。

kshinkee_JP: 人生を良くした選択肢: ジークンドーという武道 知ったきっかけ: Youtubeチャンネル 人生が良くなった理由: ジークンドーを通じて物事の理屈や道理を少しずつ理解し始め、価値判断の基準軸にもなりつつあるから。

Mas_row: 試験を受ければ他大学の大学院にも進学できるということを知って、実行したことです。 そのことは、大学時代の部活の先輩が教えてくれました。 先輩とは特に仲が良かったわけではないのですが、 たまたま2人で昼ご飯食べることになって、その時の話題で教えてもらったんだったっけかな。

tako_xx_tsub0: 【選択肢】地方私立中学への入学 【良くなったこと】寮のある中学だったので、様々な地方出身の人と生粋の地元民が混ざった環境で3年間過ごした。自分の立ち振る舞いや言動、等はここで学んだと思っている。 【経緯】バス車内に貼ってあったポスターを見て

WLv0sattyann: 背景 色々あって卒業が先延ばしに 単位は足りていたので時間がそこそこ空いた ターニングポイント 自分の通っていた大学で 近所のデザインの大学の授業を タダで受けれることになった 選択肢を知った方法 暇なんでなんか面白い授業はないか 学生課に訊きに行って教えてもらった こんな感じです。

  • WLv0sattyann: どう良くなったかといえば アートやデザインの楽しみ方を知ることができたし 創るひと達と繋がりを持つことができるようになりました。 自分でモノを作り上げることもできるようにもなりました。

uak_math: 別の専攻に行くために、元の大学を中退して、改めて大学受験をして一年生から始めました。選択肢としては知っていましたが、親と話していて「あ、その選択肢アリなんだ」と思ったのはありました。

  • uak_math: 元々建築学でしたが、数学の教員免許を取りたいと考えるようになりました。選択肢は ①転科:大学への相談が遅く、制度上不可能 ②卒業して学士入学:精神的に参り通えていなかったので、現実的ではなかった。 ③中退して入学:金銭的に難しいと考えていた。 ④通信大学で単位を取る:金銭面からも妥当

  • uak_math: 親に④の道で頑張りたいと相談したところ「③は?何故相談なく選択肢から外したの?」と問われ、そこで、ないと思ってた選択肢が浮上しました。

328mami_0110: ★高校進学時に理系を選択  ⇒数学得意、社会苦手だったので文系は嫌だった ↑ 中学受験で高校に理系のある中高一貫校合格 ↑ 算数の個人塾で算数の楽しさに目覚める すべての発端は親が中学受験させてくれたことかなと。

4th_legacy: スレッドにありました「選択肢は分かりやすい形で公開されていない」というのには強く共感です。 自身の行動スイッチ(モチベーション、パッション)が入ったか、理由なく感覚的に惹かれたか(思考ではない)、そこら辺の形で公開されてるように思います。自分の感覚、スイッチを自覚ないと気づけないかと

dalcurrypaste: 子供の頃にエジソンの伝記を読みました。曰く、エジソンが「なぜなぜ坊や」と呼ばれる程に何でも「なぜ?」と訊いていたと。 以来、私も真似をして凡ゆる事に「なぜ?」を考える様にしました。何も考えないよりは良い方に人生の質が変わったと思います。

_hayaton: 全ての選択肢。理由:生きてるから

_matsuki: 2つ目の会社を辞めたあとの進路の選択肢。希望退職制度に手をあげて辞める時期だけ早いうちに確定してたので、公言してたから人づて。 1.起業(最初の会社の同期の誘い) 2.フリーランスとして海外案件のPM(友人づて) 1.を選択。その後、人事、人材、教育研修の世界にシフト。

LifeSoothing: 就活に失敗して露頭に迷ってたとき、立ち読みしようとふと立ち寄った本屋で「通訳翻訳ジャーナル」という本が目に入り、「そういえば大学で翻訳の単位取ったなあ、翻訳って仕事になるのかなあ」と思った瞬間ですかね。。。

mirarala: 普通科の高校生時代にAO入試の存在知り、人生が変わりました。 それまで模試結果と大学偏差値表でレベルを合わせていく進路選択かと思ってましたが、志望校諦めきれず入試情報を見た時に学力試験以外の入試もあることに初めて気付き、志望校に挑戦できました。

KENOSIN1: 中学の時世界地図を眺め知りました。 若い自分は世界や歴史は広大で未知なのに対して自分の知識や経験は非常に狭い。その為出来るだけ多くの選択肢を知り全探索の中から選ぶ事を意識しました。 年齢を重ね今は逆に大体の選択肢数を思い浮かべ局所的に良い選択を早くする事を常に意識しています。

cat_maroon: 高校生の時に国代表でシドニー大学に科学をテーマとし文化交流に派遣されたことですかね。 今も天才に囲まれながら、科学を諦めきれないのはこの経験ゆえ。

yukke1293: 中高生向けのものに学校の体験を出しても仕方ないかもしれないですが、高校の授業でプログラミング(HTMLですが)したことが今の進路選択に繋がりました

kumayu333: 海外インターンに行ったことです! 何かしたいと思っているときにFacebookの誰かの投稿で見て応募しました。Facebookは友人がやっていてやらないともったいないと思い始めました。その友人にあったきっかけは大学の寮でした。大学の寮に入ったきっかけは何か面白い出会いがしたいなと思ったからです!

yuya_presto: 大きかったのは先輩が大手メーカー、SI、コンサル等に進む中でWebベンチャー進んだことで、そのきっかけは課外活動で関わりのあった同期がRailsを使いWebサービスを自分で作ったりしているのを見たことからでした。次点は親が基本情報技術者の参考書を勝手に買ってきてくれたことです(高2で合格)。

rllllho: 意を決する選択より、たまたま誘われたりふらっと参加してみた選択が人生の転機になってるものが結構ある。ふらっといろんな行動を試すことが大事なのかもしれないなあ twitter.com/nishio/status/…

  • nishio: 「意を決する選択」という言葉がいいですね、言いたかったことにスッとフィットした感があります twitter.com/rllllho/status…

xx_kayslife_xx: の大学選んだ事が大きいかな 高校入って直ぐに、の高校に編入する子に出会って海外進学の存在を知る。 、に短期留学して自分に合ってるなって思えたこと。 担任がの大学院卒で友達も色んな国に進学する予定だったから相談できたし学校で海外大学進学説明会があったから選択できたと思う。 twitter.com/nishio/status/…

  • xx_kayslife_xx: そう思うと、外国語科選んだことも 影響してるかも ドイツが好きだったからドイツ語取れるし、留学にも興味があったっていう理由で選んだけど

chisakarato: 会社辞めてルワンダに移住してタイ料理屋を始めたこと。 その選択肢を知った理由は、ルワンダ在住の友人に「ユー来ちゃいなよ」「タイ料理屋とかいいと思ってる」と言われたので。 twitter.com/nishio/status/…

  • chisakarato: でも実はこれよりも自分の人生を変えたと思ってる選択は、離婚。 選択肢を知った理由、ホントのホントの最初の一歩は、市がやってる離乳食教室に足を運んだ時に見かけた「それって〇〇じゃないですか?」というポスター。違うってことを確かめるためにかけた電話から、選択肢が現実のものになった。

gsy_design: 浪人,中退,編入,留学,休学,全部経験したのですが、どれも深い学びを得られた良い経験でした。 違和感や熱意を大事にして、納得いくまで情報収集です。(主にネットと経験者) 人とは違う選択肢を選ぶって勇気が要りますが、仕方なくではなく、自分が選んだ道だと胸張って言えるかが大事だと思います。 twitter.com/nishio/status/…

carasuma: リプが多種多様で面白い。中高生向けの公演のためのようだけど、私もその公演聴いてみたい! twitter.com/nishio/status/…

  • carasuma: 自分の場合なんだろうと考えたけど、 「学生の時に接客バイト色々やった」     ↑ 「求人誌で知った」 というめちゃくちゃ映えないものだった でもこれが無かったら、色んな初見の人と話すのが面白いと思えるようにはならなかっただろうな

7atts: いろいろあるけど学生時代に「英語をきちんと勉強したこと」かな。英語が話せるようにならなかったらワインにも出会ってなかったかもしれないしいまの仕事のいまのポジションにはぜったいについてない twitter.com/nishio/status/…

  • 7atts: ・日本語で意思疎通ができない子と話せるようになりたかった ・成績でクラス分けされたので単純にいちばん上にいけないのが悔しかった 若い頃は負けず嫌いかつそこでちゃんとその負けを覆すために努力する素養があったんだなと思うわ。いまを反省する…

irohacolor1: このスレッド面白い。 わたしの人生の選択肢で良かったことは、カラーの勉強をしたこと。 選択肢を知ったきっかけは、ハロワの職業訓練校のチラシ。 いや、そもそもパーソナルカラーにはその前から興味はあったけど。そのきっかけはインターネットで知って本を買ったことかなあ… twitter.com/nishio/status/…

tbpgr: 「ブログでアウトプットをはじめる」という選択肢をとったことが後の様々な好機につながった。 その選択肢は、書籍「情熱プログラマー」で知った。 twitter.com/nishio/status/…

  • tbpgr: ・前職への転職のきっかけはブログの発信をみてのTwitterスカウト ・ブログの発信の影響でCodeIQの出題者になり4年半出題を行うことになった ・ブログ+CodeIQでの発信の影響から様々な人と繋がりを持ちやすくなり、その後出会った人との出会いの有無に影響した

otchy: 良い質問だ。 思い起こすと人生に何度かあって、良い選択肢を知ったというより「面白そう・凄そうだけど、でもキツそう・大変そう・無理じゃね?」という選択肢が現れた時に「何とかなるさ・追い込まれないとどうせやらないっしょ自分w」の精神で飛び込んだのが良い方に転んだ感じだったな。 twitter.com/nishio/status/…

  • otchy: なので、選択肢自体を何かで知ったという感覚はなくて、たまたま現れたという感覚が強い。そこは運だったという部分も多分にあるが、さりとて飛び込む胆力は自分の物だったという自負もある。

  • otchy: 過去の経験を元に学習しているので、人生の岐路の最後の二回くらいは「おおー来たな!これあれだ。飛び込むやつだ。いっきまーす!」くらい逡巡する間もない感じになってはいたw (現実的に家族への相談はする。反対されないの分かってはいるけども。)

Xyo: 興味深いスレッド。自分の場合は ①趣味・嗜好(父のプラモ作りをみて) ②高校の進学先(塾の先生と話して決めた) ③就職先(教授からアドバイス。あとは自分で調査) 大抵の人に当てはまりそうだが、徐々に受動的→能動的になっている。若いほど第三者の介入や偶然要素が大きくなりそう。 twitter.com/nishio/status/…

  • Xyo: うまく言葉で言い表せないのだが、短期的な視点と長期的な視点で考え方が異なりそうな気がする。 例えば、短期投資など目で見てわかりやすいものが人生を変えたと言える場合は間違いなく、その選択肢が人生にとって+の影響を与えたと言えるだろうが長期的に見た場合はどうか。

  • Xyo: 例えば高校の進学先は私にとって間違いなく良い結果をもたらしたと言えるが、別の進学先を選んだパターンでも満足した人生を送っている場合も考えられる。スレッド先で言及されているが、人生は一度きりで比較はできないので、その選択が満足している本当の要因になっているのかは誰もわからない。

  • Xyo: 長期的に見た場合は、満点ではないかもしれないが現状に不満がなく満足している状態なら、「あの時の選択は良い影響を与えた」という結論になりそう。選択肢を並べてベストと思える選択をするのも大事だけど、選択後にこのように思える状態にするのも同じぐらい大事な気がしている。

duchess_nope: NYCで就職したこと。 働きたい会社が地元になくて、大学4年の時にデザインイベントでNYCで会社経営してたデザイナーのプレゼンを見て「いいな」と思ったから卒業後その人の会社に電話して「来週NYCに行くんで会ってください!」って頼んで向こうも「お、おう」って感じで会ってくれてその後雇われた twitter.com/nishio/status/…

  • duchess_nope: あの時勇気だして電話してなかったから今の私はいないし絶対地元の田舎でくすぶってたな。

tabuuuuuchi: 人生を良くした選択肢はデザイナーとして働くこと。その選択肢を知るまでの流れは、CDショップでアジカンのCDジャケットに衝撃を受ける→その話をした中学の同級生にイラストレーターという仕事を教えてもらう→本(13歳のハローワーク)で近しい職業としてデザイナーを知る、だったかと思います。 twitter.com/nishio/status/…

  • tabuuuuuchi: 結局、職として選択できたのは、親の望むまま一般企業に就職して、家を出て、専門学校の学費を自分で貯めてからになるので、かなりの遠回りになりました。選択肢を知らなければ家族とここまで揉めなかったろうと思いますし、長時間労働に薄給で、人から見て幸福かどうかはわかりかねます。

  • tabuuuuuchi: そういう意味でも明確に人生の分岐点ではありますが、あらゆる経験がアウトプットにつながるこの仕事は、とてもやりがいがあり、知れて・選べてよかったな、と思っています。

mihiguch: アメリカの今のポジションが人募集してるのを知ったのは、そのチームの人が日本に来てるときに一緒に飲んでた時なんだよなぁ。あの時飲んでなかったら、『こんなポジション受からない無理』って思う正気さがあったら応募してなかったと思う twitter.com/nishio/status/…

BPM43210: とても興味深い良スレッド。惜しむらくは、自分に書ける何かが思い浮かばないこと。生まれてこの方43年、生まれたときをピークに、緩やかに、時に急加速して、ただひたすら下降線を描いてきたと心の底から思う。今日がどん底。明日はよりどん底。 twitter.com/nishio/status/…

inko_x: 細々と絵を描いてHPに載せてただけだったところ、勇気を出して企画展やイベントに参加した事かな。 それ以降、色々な人達と沢山知り合えて自分の視野が広まったなあ。 ツイッターはじめたのが大きい。 twitter.com/nishio/status/…

WcMvUgcHLz0w50m: 20歳くらいの時に刑務所に4年半ほど行かなければならなくなっちゃってその間の時間を有効に使おうと思ってマーク回答だし論文とか面接ないし簡単そうなので行政書士を勉強し始めて合格して下積みして独立して今も行政書士やってる twitter.com/nishio/status/…

RCJHIKARU: 人生を変えたい、えらい人になりたいと悶々とした日々を過ごし、たまたま見つけた資格の予備校LECに飛び込んで聞いてみたら行政書士という存在を教わった。 全くよく分かんないけどこれが最後のチャンスだと思い込んでやってみたら本当に最高かつ最大のチャンスを掴み取ることができた。 twitter.com/nishio/status/…

hiroyuki_JGC: 新卒で激務&パワハラと評判の仕事を選んだ事でしょうか。そのお陰で、ワーカーホリックな生き方にも耐えられる体力と精神力が培われました。就職という自分の今後を考えた時、最初から楽すると後で大変かな?と思ったのがキッカケ。お陰で金融離れても人並み程度には食べて行けてます。 twitter.com/nishio/status/…

X09630589: マッチングアプリで遊んだお姉さんが行政書士の勉強してるって言ってて行政書士の存在を知りました。 そのお姉さんのおかげで今があります。 twitter.com/nishio/status/…

usjapan7: タラレバ研究 twitter.com/nishio/status/…

kartofeli: 大人の人生の選択肢も広がるツリー なんだか希望が湧く twitter.com/nishio/status/…

ayako666: 海外脱出。 毒親からとにかく遠くに離れたかったのと日本で住みにくさをずっと感じていて成人したらどこか外国に行くんだと高校生ぐらいの頃から考えていた。 twitter.com/nishio/status/…

ideee5: 大学で物理系にいく(医学部落ちる) 院で情報系にいく(統計力学×情報の研究室を研究室見学で知る) 新卒4ヶ月でシンクタンク辞める(院生時代に参加したリクルート主催のシリコンバレー行脚で分かりやすく感化される) かな twitter.com/nishio/status/…

shota_coffee: 選択肢:海外でフリーランスとして学生時代に働いたこと。 知った方法:就活の時に知り合った同級生に誘われて。 ろくにHPも作れないのにできると言いなが必死に勉強したことを思い出す。。。

tomoya_nonymous: これ、2014に内橋和久さんのDaxophoneの展示手伝いのバイトをしたことで、きっかけは大学の先輩から募集メールが回ってきたことなので半ば偶然。それをきっかけにYCAMにインターン行くことにしたし、YCAMに行ってなければ大学院で芸工には行ってなかったしSFPCも行ってなかったな twitter.com/nishio/status/…

  • tomoya_nonymous: まあ一方、チームラボはバイト辞めたタイミングで次の仕事探してる時にwantedlyで普通に応募していたし、大学選ぶのも頑張ってネットで調べて、、、て感じだったし、全てが偶然てわけでもないかなあ

  • tomoya_nonymous: 逆に、あれは人生において完全に徒労だった!というものを探すほうがそれはそれで難しいような。まあラボの前のバイトでブライダルの音響やってたのは話のネタになる以外ではもっとマシな選択肢があったような気はしてしまうが