Webクリップという行為の、特に何も情報処理をしていないけども何かした感、というのはハンパなくて、それがもたらすものが、ゴミ屋敷化なのである。 ページを作るのに少しの手間が必要だとして、「少しの手間すら掛ける気持ちが湧かない」情報を山のようにためても、知的生産的なことはまったく進んでいないし、むしろどんどん進めにくくなるのだ。 https://twitter.com/rashita2/status/1371241337148743683?s=21
タスクを効率的に処理していくと高速にクソアプリを実装してしまうと似た構造がある。
- 機械的なWebクリップによって、他のページと有益なつながりを持っていない「孤立ページ」が効率的に作られる
- 効率的に孤立ページを増やせば、知識ネットワークの価値はどんどん薄まっていく
機械的に孤立ページを作ったことが悪いのではなく、その孤立ページをつなげることに時間を使わないのがいけないのではないか?
- 「なんか気になる」をクリップしておいて、事後的にそれがつながっていくのでも良い
- 最初からよい「つながり」を発見できるとは限らないから
- しかし「事後的につながりを発見」するには読み返しが必要
- 「読み返す価値のない情報を集めても無意味」という点は同じか
- 現時点でつながりが発見できてないとしても、発見しやすくなるように開いたリンクをつけておく手間を払った方が良い
鶏と卵である可能性
- 脳内にある程度の知識ネットワークができている人がその「網」に情報を通すと「ひっかかる」
- これが「つながり」の発見
- 知識ネットワークの未発達な人にはつながりの発見が難しい可能性がある
- そういうケースでどうするか?
- 一覧できる程度の情報を集めたら、それを付箋にして一覧しなかがら動かして「これとこれは関係がありそう」というものを近くに動かす
- 動かしてから「どういう関係があるのか?」を考えることで関係を言葉にする
- 一覧して動かし事後的に関係を言語化
連想
- 一手間かける気も起きない「引用してリツイートではないリツイート」は読まない方が良いのではないか