アホはいいけど、ウソはだめにおける「アホ」と「ウソ」とはなんなのかを考察する
事実がXである時に「Yだ」と言ったとする
- 「事実がYだ」と思い込んでる場合はアホ
- 「事実がXだ」と知っていて故意に違うことを言った場合はウソ
事実がXである時に
- 「事実がYだ」と思い込んでる人が「Xだ」と言ったとする
- これはアホがウソをついて、結果的に事実だったけど許されることではない
事実がXだと知っている時に、Yだと言った方が良いと思ってYだという行為はウソか?
- 僕はウソだと思うがどうか
- 長期的には真実が最善の施策であるの一種では
- 「Yだと言った方が良い」は個人の解釈であって、それが正しい保障がない
- 善意であるが戦略的操作をしようとしている
- 「ウソは良くないことである」はコンセンサスになっていて「何がウソであるか」が人によって異なるのが問題
- この件に関しても「当然やるべきである」と考えている人がいそう
- そういう人は逆に「これはウソの一種である」と言われても受け入れられない
- そういう人は良いことをやってるつもりだから
- その「良い」が個人の主観に基づいてる
- 「短期的に波風を立ててでもありのままの事実を共有した方が良い」という思想と衝突する
事実がXだと知っている人が、事実がYだと思ってる人を見たときに指摘しなかったらウソか?
- これもウソだろう
- 勘違いしてる人がいることに気づかなかったり、見たけど後で指摘しようとしててすっかり忘れてた、的な場合はアホ