機械翻訳技術の発展によって人間が英語を学ぶ必要性はなくなるのではないか、という議論があった。しかしこの議論は解像度が低い。
日本人が、あるワールドワイドなプロジェクトに興味を持ったとしよう。英語で書いたドキュメントを機械翻訳して読むことができる。
日本人があるプロジェクトをやっていて、ドキュメントを日本語で書いていたとしよう。英語話者も「興味を持ったなら」機械翻訳して読むことができる。問題はこの「興味を持ったなら」という前提条件がどのようにして成立するのかだ。
人は読めない言語で書かれたものに興味を持ったりしない。つまりアテンションの獲得に言語障壁がある。アテンションの移動式投票において、投票対象とみなされない。
別の表現
- 情報の消費者としての障壁は下がる
- 情報の生産者としての障壁も下がる
- しかし日本語ではなく英語で発信しなければならないことによるコストの上昇がある
- これは結局のところ、顧客や市場をどこだと考えるかによる#顧客の定義
- 「日本語話者」だけの市場で大丈夫か?ということ
- 日本が中途半端に大きかったことが問題かもしれない