-
「やりたい」を集合であるかのように描いてしまうことがしばしばある
-
この絵がミスリーディングかもしれない
- 暗黙に「ことの集合としての『やりたい』の存在」を仮定している
-
「やりたいこと集合」が存在するのではなく「やりたさ軸」が存在するのではないか
-
意識に上った行動の選択肢の中から、一番やりたいものが選ばれる
-
だからできることが広がることでやりたいことが生まれるということも起きる
-
そう考えると「やりたいことは何?」という質問自体がミスリーディングかもしれない
-
「やりたくないことを考えてみよう」
- 「やりたいことが見つからない」という人にしばしば行われるアドバイス
- 何がやりたくないかを言語化することで、逆に何がやりたいかがわかる
-
やりたいことがあろうがなかろうが何かやってる
- だらだらTwitterを見てるかもしれないが
- 問題なのは、その「やってること」がそれほど楽しくないこと
-
「楽しいことは何か」の方が有益な質問かも?
- もしくはもっと具体的に「過去に楽しいと感じた時、何をやっていたか」
-
「やりたいことが見つからない」という人
- そもそも行動の選択肢が少ないケース→色々な選択肢を見て知る
-
「やるべき」(他人がやると良いと考えたことの集合)や「できる」(できることの集合)は集合だが、「やりたい」も同じだと考えるのはミスリーディングなのでは