別の表現: Kozanebaで Tweetを整理したい 複数人とか時間的に拡散してると既存のツールでは辛い

  • 一つのリプライの流れになってるのならTogetterで手軽にまとめられる
  • 話の流れが枝分かれしてるとちょっと苦労
    • Scrapboxに入れて動かしたりしてなんとかする
  • 共通のハッシュタグでつぶやかれてるのはTogetterで検索して時系列で並べればいい
  • どれでもないケースが辛い

具体例

  • なんかタイムラインの何人かの知的生産に関心がある系の人がツェッテルカステンに言及している
  • Twitterを検索したら色々な発言が見つかって、そこでの議論が面白く感じた
  • Obsidian、カード法、『TAKE NOTES!』、ルーマンなどの隣接するキーワードが見つかる
    • それらのキーワードを含んでいないが時系列的に関連しているツイートもある
    • リプライで繋がってるツイートもある
    • 特定の人の連投のツイートもある
    • そういうものも拾ってるうちに、関係ある話か関係ない話かわからなくなってきた
    • Togetterでは収集つかなくなった
    • 「関係ありそうなものをまず集める」ってなると、それKJ法なんだし、KJ法の子孫であるKozanebaが向いてるんじゃないのってなってくる

rashita2: 『TAKE NOTES!』に書かれているこの行為→“議論のつながりや、豊富な素材やアイデアの詰まったファイルをくまなく探すのは、結構楽しいものです”、これは梅棹の「カードをくること」に相当するだろう。

rashita2: ツェッテルカステンは、自分の思考の流れを保存する、あるいはカードを通してその流れを組み立て、結果としてそれが保存される。どちらにせよ、「自分の思考の流れ」が存在しないなら、保存しようもない。

rashita2: ちなみに、カードを使った情報整理で言うと、PoICという優れた手法もありますね。 ◇PoIC scrapbox.io/poic/

rashita2: 手法の強度に加えて、論考も素晴らしいです。

rashita2: “残念ながら、インターネット上にあるツェッテルカステンの解説にはいいかげんなものが少なくありません。そのため、前に書いたように、ツェッテルカステンの機能については多くの誤解が生まれてしまいました。” 『TAKE NOTES!』

rashita2: シェイク “できあがった構成のチェックは常に必要ですが、じつはこれも、ツェッテルカステンでボトムアップから作業していれば、必然的に何度も変更になります。メモのつながりを見ながら、構成を変える必要が生じるたびに、一歩引いて全体像を眺め、必要な変更を加える必要があります”『TAKE NOTES!』

rashita2: これも梅棹の「カードをくる」に相当する→“ツェッテルカステンをめくっていくことで、アイデアが、これまで考えてもいなかった別のトピックにも寄与することを発見するかもしれません。” 『TAKE NOTES!』

rashita2: “そこで、プロジェクト専用にメモを順番に並べる場所を作ることが重要になります。大まかな構成を組み立てるために役立つのがアウトライナーですが、これは同時に、大切な柔軟性を保つこともできます。” 『TAKE NOTES!』

rashita2: “構成は、主張の発展に従って変化します。構成がさほど変わらなくなったら、それを「目次」と呼んでも差し支えありません。ただし、その段階になっても、最終的な決まりではなく、構成の指針と見たほうが無難です。最後の最後で章の順番を変更することは決してめずしくありません” 『TAKE NOTES!』

rashita2: この本、アウトライナーについても理解が深い。Tak.さんの新刊も合わせて読むと良さそう、という予想。

rashita2: ざっとまとめると、まずツェッテルカステンというカード法の解説が一つの流れとしてあり、それと並行して「執筆」に関するいくつかの”神話”の解体が試みられている本。たとえば、「白紙の原理」「一直線(計画)の原理」「最後まで我慢の原理」などが解体されている。

HAT0406: 『TAKE NOTES!』は正直、構成とか訳文とか気になるところも多かったんだけど、ツェッテルカステンでも京大式カードでも「1か所に自分のアイデアの清書を溜める」というライフハックは価値があると感じる

rashita2: 梅棹はカードとこざねを分けた。ツェッテルカステンでもメインのカード箱とは別にプロジェクト用の箱を設けている。この点がきわめて重要であろう。箱はコンテキストを規定する。そのコンテキストに合わせてカードも書き換えられる。すべてが同じカードで、というわけにはいかないのだ。

HitnoteApp: ツェッテルカステンのノートが atomic で autonomous でなければいけないというところは看過されがちな気がしますね。

HitnoteApp: というかこの話の記述がツェッテルカステン本にあったかどうか記憶にないです。ないんだとしたら読者は大きなポイントを見落としていることになりますね。

HitnoteApp: atomic なノートをつくるのはむずかしくないですが、autonomous なノートをつくるのはむずかしいですね。ただ、これができないとツェッテルカステンもただの箱になってしまう気がします。

HitnoteApp: 研究者とか学生とかノンフィクションライターとか以外の一般人には文献ノートなしの簡易ツェッテルカステンでもいいんでしょうね。

rashita2: カード法は、シート法とか、ページ法でも、原理的には成立するが、響きとしてはカード法一択という感じがする。オブジェクト感が一番強い。

otagaki: 授業でツェッテルカステンのカードIDの振り方を教えていてどうも違和感があった。その後、WorkFlowyにIDを割り振って確認してみたが、これはあれだ、パラダイム関係とシンタグム関係になっていて、アウトライナーではそこをおさえておかないとうまく割り振れない。

otagaki: やはりツェッテルカステンの構造はアウトライナーで表現できるような階層構造(抽象と具体の上下関係)ではない。

HitnoteApp: ツェッテルカステンっぽくするためには親子ノート機能は必要そうですね。延々と親子関係をつくれたほうがいいんでしょうけど、それだと一覧性がうしなわれるので、むずかしいところです。

pokarim: ツェッテルカステン本というのはこちらのことか

otagaki: さらに、アウトライナーでは表現できない側面として、ツェッテルカステンを俯瞰する中で、リンクの有るなしにかかわらず、離れたカードを複数拾い上げてそこから新たにトピックやコメントのカードが創発されうる。

otagaki: 昨日の一連のツイートでツェッテルカステンの固有識別子(ユニークID)の構造について謎が解けたと思ったのだけれど、意外なことに反応がない。twitter.com/otagaki/status…

HitnoteApp: 編集 -> 選択 -> リンク -> インデックスページを作成、みたいなことをおもいついたんですが、従来のマージが 編集 -> 選択 -> リンク -> マージ、となってしまうのはなんか違和感ありますね。リンク以外のぴったりくる言葉があるといいんですが。

HitnoteApp: マージはリンクの下位概念ではないですよね…。インデックスページの作成とマージに共通する上位概念ってなんなんでしょうね。

rashita2: 統合、という感じ。間接的統合と直接的統合。 twitter.com/HitnoteApp/sta…

otagaki: ツェッテルカステンのユニークIDの規則については、カードは全てトピックで、繋がっていくカードは前のカードに対するツッコミ、派生と考えるとシンプルだが、そのように一般化すると1/1a1の存在理由が説明できなくなるんです

rashita2: エッジ(ノードをつなぐ線)で示される情報と情報の関係性は、一種類ではない。では二種類かというと、それも怪しい。一方で、モデル化するならば一種類で表現もできるし、二種類でも表現できる。で、行う知的操作によってその表現の「精密さ」が異なるのではないか、ということ。

rashita2: 「精緻であればあるほどよい」(大は小をかねる)とは言えないのではないか、ということ。

rashita2: 実寸の地図は、「地図」としては機能しない、というのと同じ。

rashita2: 「情報の関係性を精緻に表現するゲーム」ももちろんあるだろうが、個人的に欲しているのは「ある知的操作を円滑に進められる」知的道具であある。よって、その知的操作において、どのくらいの「精度」が必要なのかを検討しなければならない。そして、執筆においてすら、知的操作は複数レベル存在する。

dd_otsu: Scrapboxの中でいろいろリンクは繋がっているんだけど、有限化ができないまま1年が経過したような感じ。ツェッテルカステンでもプロジェクト別のボックスや索引カードを使うことがある、というのを知れただけでも読んだ価値があった

dd_otsu: ルーマンがツェッテルカステンに言及していて日本語でも読める文章って『ルーマン、学問と自身を語る』くらいかな

rashita2: ”人の思想に幾度も染まり直したことは私に多くの学びをもたらし、それは今の私を作る大切な蓄積になった。そこに、十年前に置き去りにした私の素朴な思いと望みを重ねて、今こそ自分らしいコンピューターライフを送ろうと思うのである。“ 素晴らしい文。

rashita2: 梅棹や渡部や外山ほど頻繁には名前があがらないが、板坂元の知的技術に関する本は個人的な好みである。なにしろ人間くささがそこにはある。

rashita2: 「hogehogeさんが試行錯誤のすえにたどり着いたメソッドA」というの、実はメソッドAよりもその「試行錯誤」のほうが大切なのでは説。

rashita2: ルーマンは「分類」を持っていたというよりも、「大きなテーマ」を持っていた、というのが近しいか。

rashita2: たとえば、こういうの。もちろんこれは結果的にこういう分類名になった、ということだろうけども、少なくともこういう「大きなテーマ」がなければ、すべてのカードが、1.からの地続きになってしまう。 pic.twitter.com/cXixjt6dup

rashita2: タイル式も、ナンバリング方式と日付区分方式がある。 pic.twitter.com/46maA7Ncjp

rashita2: 単純なナンバリングは、総数を明らかにしてくれる。系統的分岐は複数の大テーマを並行して扱える。さらに後者は、意思を持ってカードを位置づける作業が発生する。それぞれに効能がある。

rashita2: 「今日やること」のリストと、「今週やること」のリストがあるとして、前者は後者に包括されるし、そうすべきだという感じもするのだが、注意オブジェクトモデルだとそうなるとは限らない。

rashita2: 「(ハイパー)リンク」は、そういう場合に役立つ。

rashita2: 統一場モデルでは、年のリストがあって、その中に月→週→日、というリストが入れ子状に入ってくる。これは非常にスマートであるのだが、それが使いやすいとは限らない、というのが難しいところなのだ。

rashita2: ものすごく単純に、週の切れ目と月の切れ目が合致しないことがある。だから、第n週とやる方がカテゴリー的にはすっきりするだろう。

rashita2: たとえば、こうする。(10月は週/月の切れ目が重なるのであまり有り難みが感じられないが)。 pic.twitter.com/PDm89zTpFL

rashita2: あるいはこうしてもいい(別に誰にも怒られない)。 pic.twitter.com/gjIfhF98Ck

rashita2: 週番号のグルーピングならkakauのカーリーブラケットの方がしっくりくるかもしれない。 pic.twitter.com/NfcsmRXw9r

rashita2: すべての行にメタ情報を持たせて、さまざまなビューによって抽出結果を表示できるのが、たぶん「最高解」なのだろうけども、どうあがいても「最適解」にはなりそうもない。

rashita2: 脱線しているときにも、いやむしろそのときにこそ、「線」が生まれているのだ。 ──とある本を読みながらの着想

rashita2: 「流れ」があるとは、傾斜があることだ。だから、書くためにはバランスを崩す必要がある。

rashita2: 「それっぽいもの」を「それっぽい順番」で並べたものをアウトラインにしてトップダウンで書こうとしたら苦労するのは当然だろう。そこには何も傾斜がないのだから。

rashita2: ツェッテルカステンの番号付けは、「位置づけ」であり「文脈づけ」である。

rashita2: その意味で、Twitterにツイートを投稿することも「位置づけ」ではあろう。で、たとえば、連ツイにするつながりと、(自己)引用RTで自分のツイートに「かぶせていく」つながりの二種類がTwitterにもある。興味深い共通点だ。

rashita2: それはそうと、ビジネス書が「すぐに成果を上げる」方向に寄ったおかげで、「メモをじわじわ育てていく」というノウハウがかなり隅のほうに追いやられてしまった感があって、『TAKE NOTES!――メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる』は、それに対するアンチ・テーゼになりえそう。

rashita2: 「すぐに成果を上げる」とセットなのが「あらかじめ決まっている目標に向けて最短距離で駆け抜ける」というもので、これも『TAKE NOTES!』的なアジャイルな知的営為とはかなり異なっている。

rashita2: Obsidianのmobileだと、Daily notesプラグインのオプションで「Open daily note on startup」にチェックを入れていると、かなり僕の希望に近しい感じになりますね。 twitter.com/haruna1221/sta…

rashita2: 次なる課題は、カード法とアウトライン・プロセッシングの接合だろう。

rashita2: ◇カード法とアウトライナーとの接合 - 倉下忠憲の発想工房 scrapbox.io/rashitamemo/%E…

otagaki: にわかにはじめたツェッテルカステンをもとに文章を書いているが、カードはきちんと完結したものにしないとだめで、走り書きに毛がはえたレベルのものにユニークIDをつけて考えようとするとかえって混乱することがわかってきた。

rashita2: カードとメモは違う、というやつですね。

otagaki: Zettelkastenはプロセス型アウトライティングに慣れていると、価値観のコンフリクトが生じてなかなかとまどう。日頃からの積み重ねで メモ→文献カード、メモ→論述カード(=永久保存版カード)を行っていないと、ツェッテルカステンは応えてくれない。

otagaki: また、ツェッテルカステンは完結したカードを貯めてもそれを繋ぐだけでは完成形の文章にはならず、それをみて発想を膨らませたり書き漏れを防ぐいだりするものになるのだろう。

otagaki: ルーマンのカードを吟味 ↓展開(識別子末の値を増やす。例:1/1 ↓ 1/2, 1/1a ↓ 1/1b) →拡張(識別子末に、直前が数字の場合はaを、アルファベットの場合は1を追加する。例:1/1→1/1a, 1/1b→1/1b1) 1桁のカード(1, 2, 3 …)はテーマとインデックス #Zettelkasten#ツェッテルカステン

otagaki: ↓展開 は個別のトピックの列挙(順序はなくてよい。「鬼退治」の後に「桃太郎の誕生」が来てもいい)。 →拡張 は派生元になったカードに書かれている個々の情報を抽出して、それについて述べる。まるでサポートセンテンスのよう。 #Zettelkasten#ツェッテルカステン

rashita2: 個人的な見解ですが、ツェッテルカステンにおけるナンバリングそれ自体には強い文脈的な意味はなさそうです。 ・固有のIDを与えること ・話題が繋がっていることを示唆すること この二つの役割があればよい。

rashita2: で、番号の振り方に二種類あるわけですが、基本は1.1から1.2の方式でこれを本流と呼ぶとすれば、1.1aは分流(ないしは枝分かれ)ですが、ここで言葉が持つニュアンスが混乱を引き起こします。つまり、1.1→1.2が話題の本線である、といった捉え方です。

rashita2: が、そもそもトップダウンではないやり方でノート(カード)を取るのがこの方式の真骨頂だったはず。であれば、どちらの話題が「本流」かは判断できないはずです。だから、この「本流」というのはトップダウン的なテーマ設定とは関係なく、あくまで便宜的な呼び方にすぎません。

rashita2: だったら、どう枝分かれするのかと言えば、順番です。自分がそのカードを書いた順番。つまり、基本的には、1.1→1.2とカードを位置づけていく。でも、どこかのタイミングで作ったカードが、1.1と1.2の間に位置づけたくなることがある。そういうときに、1.1aと別のルートを作る。そういう感じ。

rashita2: 分数的なものを使えば数字だけでも可能にはなるわけですが、それが長くなってくると人間の目では流れを追いにくくなってくる。ルーマンが独創的だったのは、アルファベットという別の順列の流れを使い、それを数字と組み合わせることで、二つのカードの「間」に無限の空間的可能性を産出したこと。

rashita2: 情報を文脈付けしながら、あとからいくらでもその「間」に情報を付け足すことを可能にした点。この点こそが、ツェッテルカステンにおけるナンバリングの妙だと思います。

rashita2: 人間の着想は、何かしらの文脈に沿った順番で思いつくわけではない、というのが各種カード法およびアウトライン・プロセッシングの一つの前提ではあるでしょう。

rashita2: むしろ大きいものが扱える印象。小さいものはアウトライナーという感じ。 twitter.com/genbu60/status…

otagaki: ツェッテルカステンのカードの増殖は拡張が基本で、最終的にカードボックスにしまう時のために、拡張されたカード群に連番を付けているだけなのだろう。

otagaki: また間違っているかもしれませんが、今日のアカデミックライティングの授業でこういう境地に達しました。 #ツェッテルカステン#zettelkasten pic.twitter.com/1wYX2ZdOZm

otagaki:#zettelkasten#ツェッテルカステン のナンバリング規則 pic.twitter.com/vDtM3Gj5Rw

pokarim: ツェッテルカステンのカード番号のしくみ、番号そのものに枝分かれの構造が反映されていて全体としてはツリー構造になるんだけど、WorkFlowyのような一般的なアウトライナーのツリー構造とはすこし違う種類になってる。

pokarim: WorkFlowyではある項目に続くのは、1段インデントした子ノードか同レベルの後続ノード(いわば弟)の最大2つだけれど、ツェッテルカステンのカード番号では1ノードから無数の直接に後続するノードをつくれるようになってる。

pokarim: だからツェッテルカステンのカード番号は、いきなり2段以上インデントした子をつくることを許したアウトライナー的ツリーと基本的な構造は一緒ということになりそう。もちろん構造の使われ方はかなり違いそうだけれども。

pokarim: ツェッテルカステンのカード番号、基本的には機械的に生成されるIDで、IDのなかに文脈が織り込まれてるのがポイントっぽい。

pokarim: Wikiでは名前もしくはキーワードがIDになる。ツェッテルカステンでは、いわば作成時の文脈がIDになる。

pokarim: ツェッテルカステンのカード番号、IDが生成時の文脈で決まるところに「情報ツールのストックとフロー」でいうところのフローっぽさをなんとなく感じる。

genbu60: なるほど、Obsidianが大きいものを扱えるということですね。 その視点でまたObisidianを再確認してみようと思います。

rashita2: ポイントは、Obsidianには見出しが使える、という点です。内部的な構造を持ったもの=大きいもの、を扱えるという。

rashita2: 本家は直近のログが残るが、まあそれは良いとしておこう。

rashita2: カード法を運用するならば、読書メモはハイライトなどをして終わりにするのではなく、それらについて自分の言葉でまとめていく作業が欠かせない。つまり、結構時間がかかる。

rashita2: リンクの形式自体は一種類だけども、wikiリンクは「文章に埋め込む」記述ができる。つまり、文脈を示せる。逆に言えば、ハイパーリンクの力を発揮させるには「文章で書く」ことを意識するのが吉。 twitter.com/pokarim/status…

rashita2: 紙の場合は、ユニークなIDを与えるうえで加算的なナンバリングが使いやすかったわけだが、デジタルデータならそこにこだわる必要がない。でもって、カードの並びが「このテーマに関するものだ」を明示する機能を持つならば、それを直接文章で示せばいい。

rashita2: この場合、「後から間に追加するために枝分かれさせる」という操作は不要になる。単に、その新しいカードが、参照したい既存のカードとどのように関係しているかを示せばいい。

rashita2: そうしておけば、自分が後から「そのテーマ」について参照したくなったときに、文脈込みでそれを取り出せることになる。

rashita2: 重要なのは、カード法は備忘録ではない、ということ。あるテーマについて、過去の自分と対話していくことを促す装置であり、「文脈」はそれを助けるためにある。情報を「分類」や「配置」するためではない。

rashita2: 「分類」や「配置」をしないのだから、本流とか分流とかも特に意味はない。単に後からその「文脈」に情報を追加できれば、なんでもいいのだ。 以下も参照。 twitter.com/rashita2/statu…

pokarim: ツェッテルカステンの側からWikiをながめてみると、やはりリンクの前提として名前によるIDが必要なのは良くも悪くもかなり強い制約に感じられる。

rashita2: 一方で、これは最近毎週定期的にやっているのだが、自分のツイートをエディタにコピペして、それにタイトル(見出し)をつけると、急にしまりはじめる。ちょうどこれは『書くためのアウトライン・プロセッシング』“にある”書いたことに見出しを立てればアウトラインになる”という指摘とピタリ重なる。

rashita2: つまり、この点が「ストックとフロー」とよく言及されるものの差異に通じるのだ。保存の有無ではなく、「それ」と名指せる何かが自分の中に発生しているかどうか。

rashita2: とりあえず、自分のメモ処理に関しては、ネットワーク方向とアウトライン方向の両面作戦を展開することで決着した。

HitnoteApp: 日本でツェッテルカステンの話になるとたいてい京大式カードがひきあいに出されますが、興味深いのは同書で梅棹が自分は文章を書くのが不得意、と告白していることです(本音かどうかはわかりませんが)。これは書くことを苦にせず高い生産性を維持しつづけたルーマンとは対照的です。

HitnoteApp: その差にツェッテルカステンの本質的ななにかを見いだすことができるのかな、などと考えたりしました。そして、ツェッテルカステンを京大式カードの別バージョンだと考えるひとが見落としているものもそこにあるんじゃないか、と。

rashita2: カードをくる、だ。 Obsidianに書き溜めた着想メモは、無作為に表示する中から見返すページを見定め、適度な間隔で繰り返し読み返して公開まで持っていく choiyaki.com/p20211018/

pokarim: ツェッテルカステンの特徴は、カードを複数種類のリンクでつなぐ構造であるのに、時系列そのものではない順序で一次元に並べられることだと思う。

pokarim: ツェッテルカステンではカード番号=IDが一列に順序付けられる。その順序がなければIDをもとにカードを探し当てるのが困難になってしまう。しかしその順序がIDによるランダムアクセスの効率を上げるためだけのものとは思い難い。

rashita2: “アウトラインよりも複雑な論理の連鎖”を検討している。

pokarim: 『TAKE NOTES!』は、デジタル式のツェッテルカステンであれば、すべてのカードをシンプルに全順序で並べることにこだわる必要はないと主張しているように読める。しかし本当にそうか疑わしいと思う。 twitter.com/pokarim/status…

otagaki: ツェッテルカステンもどきをやりながら、論文を書いていたんですが、カードから実際の論文になるまでだいぶ飛躍がありました。それをツェッテルカステンでやっていたら時間が足りなくなっていたと思います。やはり、準備物としてひごろからこつこつやるのが良さそうです。

HitnoteApp: 『知的生産の技術』で興味深かったのは “忘れるためにメモする” という主張ですね。ツェッテルカステン本にも同じようなことが書かれていました。最近はそれを実践するようにしてます。

rashita2: ただ、これで消してしまうのはなんとなくひっかかりを感じたので、自分の「意図」を文章化して、Scrapboxにページを作る。これで無事脳内のメモリから消せる感じがする。 pic.twitter.com/xXj5t1g5qI

rashita2: この際に、とにかくリンクを張っておくこと。ツェッテルカステンと同じマインドセット。自分の過去のページと「つながり」を作っておく。それが二重の効能を持つ。まず、自分の脳内の文脈(位置)付けとして。次いでその文脈を手がかりとした情報のアクセスルートの開拓において。

HitnoteApp: ツェッテルカステンは Wiki 的というより Twitter 的なのでは? Wiki はただの情報整理でアイデアの生産にはつながらない気がします。逆に Twitter は連続ツイートとかしてるとアイデアが湧いてくるんですよね。

HitnoteApp: 仮にこれが正しいとすると、ツェッテルカステンは誤解されまくってることになるかもしれません。カードの 2 種類のリンクのうちナンバリングによるリンクの方が重要ということになり、そちらは軽視されがちだからです。

HitnoteApp: そのあたりはいまいち理解しきれてないんですよね…。そもそもツェッテルカステンのナンバリングメソッドに対する知識がとぼしいというのもあるのですが。

rashita2: wikiというツールと、wikipedia的な使われ方は峻別した方がよいのでは。

rashita2: ツェッテルカステンのカード群は、アウトラインを作るものではないから、そこに立ち合われる「構造」(のように見えるもの)に意味はたいしてなくて、むしろカードの中に記述される他カードへの参照において「構造」が立ち上がってくる。これがごっちゃになるとややこしくなる。

rashita2: 『Take Notes』でも、アウトラインを立てるときはアウトライナーを使いましょう、と提案されている。デジタルデータだと、区別がなくて混ぜてしまえるように思えるけど、異なる形態の情報処理をしているのだ、という認識があった方がよさそう。

rashita2: たとえば、アウトライナーでslip-boxを作るならこんな感じになるだろう。「間」に入れたいものが後から出てくるなら、それを間にグングンいれていけばいい。文脈的に直接関係があるならば、リンクでそれを示せばいい pic.twitter.com/n4E2ef4wkK

rashita2: すべてを「一列」に並べていく。 しかし、これらの情報は「つながって」はいるが、アウトラインではない。あるいは何かしらのアウトラインかもしれないが、それは具体的な成果物に向けたアウトラインではない。

rashita2: むろん、『書くためのアウトライン・プロセッシング』の最後に、小規模・短期間のメソッドが紹介されていたように、「具体的な成果物に向けたアウトラインを作るためのカード法」というのもありえる。しかし、それは知のネットワークを拡大していくカード法とは少々やり方が異なってくる。

rashita2: 図解でインデントの深さが使われるが、そうするといかにも「親子」という感じや「文脈」の違いがイメージされるが、それは「あらかじめ構造を意図せずにカードをつながりだけで書いていく」原初のコンセプトを損なうことになる。

rashita2: でもってそれは、ルーマンが各種の(社会)システムに上下を見立てなかった(システム間の階層性を破棄した)、ということとも関係している。彼の思想と手法には当然のように呼応があるわけだ。

rashita2: もちろん、ルーマンの思想とぜんぜん違うカード法は十分ありえるので、それはそれで探究するのは面白そうだけども。