- そもそも付箋は必要なのか?
- デジタルの筆記用具がなかった時代、低コストで情報を編集できる方法が「紙片にして、動かす」だけだった
- 書き込むことに関しては、Undoがなかったため消すコストが高かった
- 紙片は動かしてみて、ダメなら即座にUndoできる
- 2次元の空間配置ではない方法で「動かす」ができるようにしたツールがアウトラインプロセッサだった
- 上下とインデント方向の2次元だが、インデント方向の自由度は暗黙に制限されている
- 今年の夏に作ってた手書きメモも可能なアプリ、僕は今まで重点を付箋の移動において話してたけど、結城さんのプロトタイプに対する倉下さんの反応を見てると、もしかして付箋部分がなくても手書き部分だけでユーザニーズがあるのではないか
- 某所で急遽ホワイトボードを使ったんだが、ペンがヘボかったり、一部の人の席から遠かったり。iPadをApple TVで画面に映すこともできるが、講師が別にいる状況でケーブルを奪うのもなぁ、というところで何もインストールしなくてもブラウザで特定のURLを開いてもらえれば手元の手書きメモが共有されるこの機能が割と上手く使えるかもしれない
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- 付箋のことを一旦忘れて情報のスムーズなアウトプットを考える
- 手書き図解、キーボードやフリック、音声入力
- どこに置くかは最初は考えない、アウトプットしてから考える
- 同様に、最初から「付箋なのかどうか」を考えさせる設計は良くない、長文でも短文でもまず何も考えずに投げ込めるべき
- 図解しながら音声録音する場合も、それはその視野に紐づいているべき
- 僕はどのタイミングで付箋が欲しいのか
- 例えば
- 書籍を読んだり、
- 他人や自分の未整理だが価値のありそうな対話ログを見たとき、
- 書籍や講演のための未整理なアイデアメモ、など
- まず未整理かつたくさんの情報があって、それを整理したい時に、各断片を動かしたくなるわけだ
- 今の手書きツールでも「投げ縄で囲って、移動」という二手間でできる、
- より一層移動に専念したい時に、移動の単位を固定したくなるわけだ
- 時々、まとめて移動したくなる、だから「移動の最小単位を固定」だ
- 文書に傍線を引いたり、抜き書きしたりするように、大きい単位から小さい単位を抽出することが行われる
- Scrapboxのnew pageは元文章を破壊するのだが、元文書にリンクした新しいアイテムが欲しい
- Scrapboxのアウトライナー的挙動は割と良い、そのツリーの一部が元を破壊せずに抜き書きできると良い
- 例えば大きなファイル(PDF、動画、外部リンク)を投入した場合、それも視野に紐づくのか?
- アイテムを画面上でドラッグした時、位置情報が更新されるだけでなく、その更新をしたときの視野が伴うのではないか
- 単なる移動でなく視野も含めてログを取れば、アイテムドラッグでの整理プロセス自体を共有できる
- KJ法による最終成果物だけシェアするから意味がわからない
- こうやってつらつら書いていくビューがあって、そらから付箋にコンバートして、整理する
- 全てのアイテムに、それにリンクした編集があればよい
- つらつら書いたものを再配置するプロセスで、書き換えたくなったり、分割したくなったりする
- この投稿は改行で分割された長文?
- 改行ボタンはある、しかし使われてない
- 制限する必要はない、改行したりインデントしたりできて良い
- それを1次元的な書き連ねに使うのはユーザの自由
- ユーザの自由は大事、制限しても使いづらくなるだけ
- シェアボタンで、視野情報付きでシェアされるのが良いのでは
- シェアボタンでQRコードが全画面で出るといいね
- 画面の縦横比はユーザによって異なる、シェアした人の画面全体が見える視野で表示されるべき
- 人間は画面外の編集に気づくことは困難
- 気づかせるための仕組みはあった方がベター
- ゲームにおけるマップが良くできている
- 編集履歴がすべて残るなら自由な編集を恐れる必要が減る
- 稀に編集合戦が起きた時に凍結できれば良い
- 編集させないシェアも凍結すれば良い
- つまり「見るだけの人」「編集できる人」「凍結できる人」のさんかいそう
- 僕がなぜこういう書き出しをする時にScrapboxではなくFacebookを使うのか
- 書いた後、Scrapboxに転載して整理するのに
- なぜ最初からScrapboxに書かないのか
- 箇条書きとはなんであるのか
- 字下げするかどうかは何によって決まるのか
- 同じ階層のものが並列であって欲しいと思う人がいる、一方これは明らかに強すぎる制約
- 同じ階層のものを子要素を無視して読み進めたら読めるべきだと考える人もいる、これも強すぎる制約
- 事後的にそういう性質を持つように整理されることはあるが、最初は当然違う
- つまりこれはKJ法の近接と同じような「まだ言語化されてない関係」の表現手段なのだ
- 箇条書きに言語化された関係の記述手段があるかというと微妙だけどな
- あれは単なるツリーだから。
- AND/OR木みたいにならないとアノテーションできない
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