(Column) We can not communicate bi-directionally with books

コラムのタイトルは「書籍とは双方向のコミュニケーションができない」だが、本題的には「(なので)まず著者のエミュレータを作り、それから二人の思考を混ぜる」だよなーと思った

あとは「守破離」がすごく関連のある話題だなと思った

日本語より英語が苦手なことによって、英語で説明してあるのを見ると「つまりどういうことだよ、図を描け」って気持ちが著者に対して湧いてくる(著者は自分)

マタイ9の新しい皮袋を連想したけど、原典読んでみたらあんまりフィットしないな

第四版では少し加筆がされているが、それは英語版の底本に入ってなかった。翻訳終わってから過去の修正差分を見て反映していく作業が必要だな。


Q: 読んでる最中に思考が渦巻く、我慢する? A: 読んでる最中に自分の思考が渦巻くところは同じで、もちろん我慢なんてしません。 4章、p.129〜130にあるように、思ったことはなんでも記録します。

それとは別に、例えばそれを付箋にして整理しようという時には 「これは本に書いてあった」という事実と 「自分はこう解釈した」という解釈は渾然一体にしないで、まずは前者だけで整理する、という話です。

読書ノートを取るときだったら例えば左右に書き分けて書籍の内容が左側、自分の思ったことが右、というやり方をする人もいますね

Q: 比較すべきナイーブな手法は、何回も読む? A: 何回も読むとよくわかった気になってるけど実際はわかってない、という話は3章、p.87ですね。

こうやって双方向的やりとりをすると、散らばってる文章の間のリンクができていってとてもよい的なことを言いたい