架空の宗教団体とその教義を考えてみる思考実験
- 「聖なる言葉」に使われる単語の意味は唯一でなければならない
- 聖典(教団のwiki)に書かれたものを定義とする
- ある語が複数の意味に使われていることに気づいた場合は、単語を分ける
- この活動により単語の意味を唯一にすることができる
- シンボルの分割
- 異教徒は「同じ概念をいくつもの異なる言葉で表現すること」に肯定的な態度をとることがあるが、その行いは邪悪である
- 聖なる言葉による整合性のある大きな「知恵の体系」を作ることが善である
- 無意味な言葉を連ねることによって体系を大きくすることは有用ではない
- 「整合性を保つこと」「大きくすること」「有用であること」はすべてを目指すべきことである
- 異なる単語が同一の概念を指している時に、それをマージすることは良いこと
- 人間によるこの判断が事後的に誤りであると判明することがあるので、undo可能でなければならない
- これはこれはマージを行う前に、両者の単語の使用を記録しておくことによって実現可能である
- 聖なる言葉を使うことは良いことだが、人間は愚かなので常に聖なる言葉を使うことに耐えられない。なので「俗なる言葉」を使うことも許される。
- 聖なる言葉か俗なる言葉かの識別が容易であるように、聖なる言葉にプレフィクスをつけるべきである
- 俗なる言葉で書かれた知恵を、聖なる言葉に翻訳することは良いことである
- 人間によるこの翻訳は誤りである可能性があるので、のちの検証のために聖なる言葉と俗なる言葉の併記が必要である
- 出典を明記すべきである
- 人間は聖なる言葉で書かれた体系の整合性を保つために努力すべきであるが、人間は愚かなので体系が大きくなると人間の能力で整合性を保つことが困難になる。そこでコンピュータによる整合性チェックを可能にすることが好ましい
- この整合性チェックのために聖なる言葉の表現を制限すること(例えば命題論理に限るなど)は好ましくない、その選択されたモデルによって表現が困難な知恵が知識の体系に組み込まれることの障害となるからである
- 型システムにたとえるなら、型宣言は整合性チェックの助けになるのである方が好ましいが、型で表現できないものの存在を許さなければならない
- 知恵の表現は自然言語には限らない
- しばしば数式やプログラミング言語で表現することが適切である
- 数式やプログラミング言語のようなシンボル列にも限らない、ダイヤグラムが適切なこともある
試しに使ってみる
- 知識は恐怖を減らす
- 知識は恐怖の解毒剤