自由
- 読み: じゆう
- 英語: liberty / freedom(一般訳)/ jiyu(宇田川氏独自)
- 種類: 一般語の特殊用法
一言要約
宇田川氏は「自由」を liberty や freedom の訳語と捉えるだけでなく、「自らに由る」(自己原因=self-cause / causa sui)に通じる 第三の意味 を持つ日本固有の概念として扱う。外国語に翻訳する際は jiyu とそのまま日本語のローマ字表記にする。
本人による定義
宇田川氏自身の輪郭(K#F85E/046C, 2012-08-24 描出)から:
「自由」(じゆう)とは、「自らに由る」の意である。一般に liberty や freedom の訳語であるが、宇田川はその日本語としての意味に着目し、self-cause(causa sui、自己原因)に通ずる第三の意味を考察している。したがって、宇田川が「自由」を外国語に翻訳する時は 日本固有の概念として「jiyu」等とする。
つまり一般的な「自由」の二つの意味(liberty = 政治的自由、freedom = 強制からの解放)に加え、第三の意味として 「自己原因性」 を立てている。
宇田川氏はこの第三の意味を強調する独立した造語として 我由(がゆう、gayu) も用意している。「我由」を使うことで、「自由」の字義を変えないまま自己原因性のニュアンスだけを取り出せる。
自由の三つの落とし穴
本人輪郭で、自由の実践の難しさとして挙げられている三つ:
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「与えられる自由」の問題
自由の枠組を他人から与えてもらう事に疑問を覚えない問題
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「自由への執着」の問題
自由という概念に拘るあまり不自由に陥いってしまう問題
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「自由の形式化」の問題
自由は特定の行動形式ではない。たとえば、檻に入れられた動物も、生まれた時から檻で過ごすような教育を受けていれば自由でありうる。自由とは精神的問題であって、何をしているか、していないかの問題ではない。
最後に本人は次のように補足する:
鳥には鳥の、魚には魚の、獣には獣の自由がある。これは、自由を外形で判断すべきでないという事でもあり、自由は教育によってその形を変えてしまえるという事でもある。
関連用語
ソース
- 本人輪郭: K#F85E/046C(2012-08-24 描出)
- dlt-udagawa-corpus.md